板橋区前野町・いろいろと愉しめる都会のオアシス!湧水池のある見次公園に行きましょう!
都営三田線・志村坂上駅の一里塚口に出ると、一里塚の両塚が大きく聳えている。
中山道三里目のものだ。交差する通りは「一里塚通り」と名付けられている。
ここからその一里塚通りを南西に向かうと目的とする池はある。
板橋区前野町・いろいろと愉しめる都会のオアシス!湧水池のある見次公園に行きましょう!
そこまでの左右は住宅地や商店の混ざるどこにもある街並み。
しばらくすると左手に緑のある大きな窪地が広がる。
すり鉢のような地形だ。全体が見次公園。
底は見次公園の池が大半を占めている。
見次公園にある池というだけで、特に名前はないようだ。
この公園は、昭和28年(1953)4月に開園しました。
~「見次公園とその周辺」の案内板より~
「見次」の名前は、隣接する志村延命寺の由緒に関連しています。『新編武蔵風土記』や同寺の縁起によると、延命寺は中世の志村城に在城していた篠田五郎の家臣見次権兵衛を開基とし、見次の氏をとって山号を「見次山」としたといいます。
また、大永4年(1524年)、小田原北条氏の志村城攻めにより、息子を失った見次権兵衛が、菩提を弔うために屋敷を寺院としたともいわれています。
この公園の池は、台地の縁から湧き出る水をためたもので、水に恵まれたこの周辺には原始・古代の遺跡も多く分布しています。
池ではボート遊びや釣りなどを楽しむことができます。 平成16年3月 板橋区教育委員会
見次公園(みつぎこうえん)
板橋区前野町にある区立公園。昭和28年(1953)4月に区民の憩いの場、水上公園として開園されたもので、面積約14,000平方メートル。
そのうちの半分ほどを池が占めている。都区内には数少なくなった湧水による池だ。
湧水の多い地帯で、中でも代表的な湧水が3つあり、薬師の泉、見次の泉、出井の泉が志村三泉と呼ばれている。
武蔵野台地の成増台と荒川低地の境界をなし、志村地区の崖線(がいせん)の後背部に相当する。
すりばち状の谷戸地形で、おおむね南から北へ向かって下り勾配になっている。
傾斜のある石段。
季節に来ればツツジの公園です。
噴水?いまは水を出していないようでした…。
歩きやすいように部分的にウッドデッキが巡らされている。
池に沈んだ樹叢のようです。
列植されメタセコイア。
風景を見ているだけで心身がリフレッシュする公園ですね。
ボート遊びにも興じれる。
池になる前の原始がみてとれる。
亀がのんびり甲羅干し。
この地域は江戸時代から徳川将軍家が鷹狩りに訪れたといわれており、近くの延命寺は将軍の休憩所とされていました。その延命寺は「見次」の由来をもつお寺とも言われています。
ここは出井川(でいがわ)の支流の沢筋のひとつだが、戦前の地図に池らしい痕跡はない。公園ができる前はぬかるむ深い田んぼや湧水が流れ込む場所だったという。湿地帯だったのでしょう。
出井川
板橋区大原町の「出井の泉公園」が源流とされています。
そこから首都高5号線下、志村三丁目駅付近を流れ、東坂下2丁目で新河岸川に合流。
下流部は旧流路がそのまま出井川緑道として整備されていますが、上流部は高速道路の高架下になったり生活道路になったりで 川の痕跡はほぼ消滅してしまいました。
一年中釣りができるとあって、釣り人に人気の池らしい。
へらぶなやタナゴ釣りが公認されている池として都心では珍しい存在だそう。魚影も濃いようだ。護岸も釣りがしやすいように工夫、整備されている。
見次公園の南側を首都高速道路5号線が走り、その高速下に、水門がある。
平成13年(2001)から浄化目的に地下水を汲み上げ入れ、水草の植栽や微生物を利用した浄化を行っていますが、しばしばアオコが発生し、水質や景観を悪くしています。汚濁の原因は大量に投入される釣り人の練りエサと考えられています。
(板橋区hp「板橋区の水環境」より)
前野町 志村にあった志村城から見て手前に見える台地を「前野原」と称したことに由来するもので、公園は前野町に属する。一帯は台地が囲み、湧水に恵まれ、古代から人の営みがあったことが前野町遺跡などからもうかがえる。
見次山とも呼ばれた台地の崖線から滲みだした湧水が池の水源となっている。その様相が諸所で観察できる。
都営三田線・志村坂上駅より徒歩6分。
見次公園には駐車場が無いので、クルマでのアクセスの際はご注意!
コメントを残す