肥後細川庭園の池と緑の散歩道(文京区)目白台の自然と地形を楽しむ!
江戸時代このあたり一帯には武家地が広がっていました。
「肥後細川庭園」の広がるところは、それまでは清水家、一橋家の下屋敷と所有者が転じましたが、幕末に至り肥後熊本54万石の藩主・細川越中守の下屋敷のひとつとなったたところです。
広大な敷地は、肥後細川庭園をはじめ、和敬塾本館から目白台運動公園などを占めていたようです。
ということで、「肥後細川庭園」を散歩してみましょう。
一番の最寄駅は、都電荒川線の「早稲田駅」がよろしいでしょう。下車して徒歩5分。
ちなみにこのコ-スは「JOINT・SANPO」(ジョイント散歩)が可能です。近接のコ-スと合わせぜひワイドな散歩をお楽しみください!
戦後の昭和25年(1950)に西武鉄道の所有となり、昭和35年(1960)東京都に譲渡され、翌年、都公園(新江戸川公園)として開園しました。
そのご昭和50年(1975)、管理が文京区に移管され今日に至っていましたが、日本庭園としての存在をわかりやすくするため、平成29年(2017)に「新江戸川公園」から「肥後細川庭園」に名称が変更されました。
「新江戸川公園」の名称は、すでに神田川沿いに「江戸川公園」があったところから、それと対で「新」が付いたことのようです。
面積1万8千5百平方メートル。豊島、新宿両区との境界に近い神田川に沿って広がっています。
目白台が神田川に落ち込む斜形地を活かし、崖間からの湧水を引き込んだ大きな泉水(池)を中心とした大名庭園です。
池のみ水はすべて天然水。湧水と雨水で満ちているまるごと自然の池泉です!
左の目白台の緑に対して右手には「築山」が続きます。
珍しいといって何がなんですが、池の「水」そのものです。いまどき自然水だけなんです。
池の水はすべて湧き水と雨水でまかなっているといいます。人口的な浄化水は使っていません。これだけでも都内の庭園としては、かなり珍しいといえるでしよう。
細川家下屋敷の庭園をそのまま利用した池泉回遊式庭園
熊本藩最後の御用絵師[杉谷雪樵」が描いた松声閣の庭園
作庭の意図は大きな池を中心にすえ、造形的には京都・嵐山の風景を模したもののようです。
雪見灯籠 水面を照らすため少し低く造られたています。笠が大きく、短い3本脚をもっています。
名の由来には、笠に積もった雪を鑑賞して楽しむという風雅な説もあります。
庭園の中央に大きな池を配しています
門を入ると広い「大泉水」が視界いっぱいに展がっています。
池に沿った園路を進むにしたがって、池や背後の山並みの眺めが移り変わります。その変化のさまを鑑賞できるように作庭されているのが特色のようです。
広がりのある池や背後の山並みなど様々な風景の移り変わりを観賞出来るように計画されています。
池越しにみえる建屋がポイント
このあたり一帯は目白台からの湧水が豊富なところで、その湧水をうまく生かした回遊式泉水庭園となっています。
江戸時代における大名屋敷の回遊式泉水庭園形式をもつものですか、目白台の緑を借景にしているところが他の大名庭園には真似のできないところですね。
竹を編だもの。何なんでしょう。
建屋とのコントラストがいいですね
深山幽谷といった気配すら感じさせる、借景となっている目白台の緑。
庭園の歩道は山道のようになり、
台地の傾斜した様子がよくわかります
池をはさんで背後の目白台地を深山に見立てているんですね。
斜面地は深い木立となっていて、池に覆いかぶさるようにヤマモミジやハゼノキの一群が、秋には真っ赤に紅葉した姿を水面に映し出す仕掛けです。
高みへと続く園路はまるで深山の中の自然道のようです。
注意 現在通行止めとなっております。 修繕施工予定が確定しておらず、しばらく通行止めが継続されるでしよう。
樹林の中の山道をしばらく登ってゆくと、所々で樹間からのぞく大泉水の眺めが印象的です。
こうして園路にそって池を一周したのち、最初に見た風景を振り返って眺められるように設計されているという、このカラクリのような作庭!
亀石
亀石 亀甲紋といい,尻尾といい、なかなかな自然のできばえです。亀の形をした大岩。池を鑑賞しているようです。
風情のある一枚石
どこをとっても一枚の風景画になりそう
大池には周りの緑が影を映しています。
また、目白台台地を山に見立てて遠路を巡らせているため、立体的眺望をも有しています。高台からは往時には町並みも見えたと推測できますが、今では木々が茂り、深山幽谷の趣になっています。
振り返った時、池を通して松聲閣の眺めを楽しむことが出来ます。
目白台台地が神田川に落ち込む斜面地の起伏を活かし、変化に富んだ景観をつくり出しています。
滝 滝が流れ落ちています。敢えて低くしたところに造詣の美があるようにおもわれます。
何気ない滝ですが、目白台から注ぎ込む水脈が健全な証拠でしょう。貴重ともいえる天然の滝です。池にとっては命の水ですね。
礼拝石
礼拝石 ここに立つと庭園全体を見渡すことができます。
湧き水は平安貴族が好んだ「鑓り水」(やりみず)の手法を取り入れ、岩場から芝生へと細い流れをつくっています。
小川の流れは隣接する和敬塾のあたりを源泉とする湧き水のようです。
流れの周辺には野草や水生植物があしらわれています。
見晴らし台。ここにも「十三重の塔」があのます。
やはり見晴らしがよいところです。おそらく眺望のシンボルとして建てたものでしよう。
見晴らし台から眺めた松聲閣
大正ロマン漂う古建築・肥後細川家の造形美あふれた一級建造物にふれる!
松聲閣(しょうせいかく)
明治時代に細川家下屋敷跡に学問所として建設され、大正15年(1926)に改築された木造建築です。
一時期は細川家の住まいでしたので、細川護熙(元首相)も暮らしたことがあるそうです。
それまでは公園の集会施設として活用されていましたが、老朽化が進んだため、文京区が修復と耐震補強工事を行い、外壁は建築当時の黒い板張りに復元しました。
平成28年’(2016)秋に肥後細川庭園」としてリニューアルオープンしました。
※松聲 松の木に風が吹いて鳴る音。 松風の音。類語に「松籟」(しょうらい)、「松濤」(しょうとう)という謂いもあります。
玄関入口の正面に掲げられている額は細川護煕元首相の筆によるものです。
各部屋「から「大泉水」と中庭を眺めることができるよう仕組まれています。
木造の2階建で、各部屋には「肥後六花」の名前が付けられています。
1階の喫茶室「椿」では抹茶(有料)を味わうことができます。
細川護立(ほそかわ・もりたつ)
元総理大臣・細川護熙(ほそかわ・もりひろ)氏の祖父。
爵位は男爵、のちに侯爵となって貴族院議員も務ました。
文部省国宝保存会会長、日本美術刀剣保存協会会長、東洋文庫理事長など歴任。
芸術に造詣が深く、美術品収集家として著名で、それを評し「美術の殿様」と呼ばれもました。
『白樺』発足の同人である志賀直哉や武者小路実篤、梅原龍三郎や安井曾太郎といった芸術家たちのパトロンとしても知られていました。
2021~2022 冬の風物詩・細川庭園の「松の雪吊り」はじまりました!
日本の冬の風物詩・雪吊りの美~和の美・松の美・結びの美の結晶!
- 旧芝離宮恩賜庭園
- 旧古河庭園
- 清澄庭園
- 小石川後楽園
- 神代植物公園
- 殿ヶ谷戸庭園
- 浜離宮恩賜庭園
- 向島百花園
結びの芸術、その真髄を味わう一冊!
雪吊りについての一般事項(肥後細川庭園HPより)
雪国などで行われる雪吊りは、機能を重視した手法(りんご吊り)であり、雪による枝折れを防ぐため目的の枝に縄を直接結びつけます。
これに対して、肥後細川庭園をはじめ暖かい地方では支柱上の一点から放射状に下がる縄の描く傘型の美しさを鑑賞するために、枝の外周に沿って縄を結びます。
外周に沿って結ぶ場合、外周を直線の組み合わせとするもの(江戸川区平成庭園など)と割竹でつくった輪の形にするもの(肥後細川庭園)があります。
また、支柱上部の飾り(わらぽっち)は、省略されることもありますが肥後細川庭園では、省略を行わずに取付けています。
肥後細川庭園と永青文庫の間の通行
肥後細川庭園と永青文庫の間の門扉は次の時間に開門されています。この時間帯は二つの施設の回遊が可能となります。
開扉時間:10時から16時迄。但し、毎週月曜日、永青文庫の「展示替え期間」。年末年始(12月28日~1月4日)は通行できません。
入園と入園時間に関して
- 無料
- 2月から10月まで : 午前9時から午後5時まで(但し、入園は午後4時30分まで)
- 11月から1月まで : 午前9時から午後4時30分まで(但し、入園は午後4時まで)
- 休園 :12月28日から1月4日の期間
尚、コロナの関係で詳しくはお問い合わせください。
電話番号:03-3941-2010
まとめ
庭園から近距離に、明治の元勲・山県有朋が築いた庭園を起源に持つ「椿山荘」や、鳩山一郎元首相の邸宅だった「鳩山会館」など樹木と緑にあふれたところがあります。
あわせて逍遥してみることをおすすめします。
帰途のことですが、
スタ-トした都電荒川線の「早稲田駅」にもどるのが一番ベタ-でしょう。
もし時間や歩行に余裕がみいだせるなら、「JOINT・SANPO」(ジョイント散歩)で、
ジョイントコ-ス① を選び、地下鉄有楽町線の「護国寺」駅、
ジョイントコ-ス② を選び、地下鉄東西線の「早稲田駅」から帰るのもいいでしよう。
それではこれにて〆とさせていただきます。
ではまた!