戸越公園は癒しの庭!大名屋敷の面影をとどめる 回遊式庭園

品川区戸越。
いまでは東急の路線が四通に通じている交通至便なエリアですが、江戸時代では、このあたりまでくると品川もまったくの江戸郊外でした。

農村地帯で、鄙びて閑静とはいいながら、きわめてさびしところでした。そうした風趣を好んでか、屋敷を構えた大名がいました。

その名残をとどめている庭園があります。

というわけで、以下、どんなところか、その様子を拙文と写真でをお届けします。

戸越公園は癒しの庭!大名屋敷の面影をとどめる 回遊式庭園

有名な「戸越銀座」の近く。銀ブラと合わせて訪れるといいでしょう。

絵図
戸越屋敷図(「品川歴史館」蔵)

肥後新田藩(ひごしんでんはん)

明治3年(1870年)熊本の本藩に合併し廃藩となりましたが、支藩に新田藩(しんでんは)というのがありました。

熊本藩主・細川綱利(つなとし)の弟・利重(とししげ)が立藩したもので、寛文2年(1662)、幕府から戸越村の一画を屋敷地として拝領しました。戸越屋敷ともいわれました。

その肥後新田藩・細川家下屋敷跡がいま品川区立公園となっている「戸越公園」です。

模型図
 熊本藩細川家戸越屋敷模型/「品川歴史館」より

しかし利重はこの地があまり気に入りませんでした。

江戸から離れすぎているというのが要因で戸越屋敷には住まず、綱利の住む白金屋敷の中の一所と交換してもらうことにしました。寛文6年(1666)のことといいます。

そんなことから、以降、この戸越屋敷は本家の下屋敷として使われることになりました。

戸越公園

薬医門 (やくいもん) 肥後新田藩細川家下屋敷正門跡(戸越公園正門)。復元したもの。
公家や武家屋敷の正門などに多く、扉を設けず医家の門として用いられたので藥医門の名があります。

さかのぼるこの屋敷地は所有者が目まぐるしく変遷しています。
江戸時代は松江藩(松平不昧公)、出羽上山藩・松平氏、久松松平氏と経ており、明治維新後は久松伯爵、吉井幸蔵伯爵、さらに彫刻家・堀田瑞詳氏などの所有を経て、明治23年(1890)三井家に譲渡されました。

古地図
大正8年ころ

さらには、
昭和7年(1932)には三井家から荏原町(後の品川区)に庭園の部分が寄贈され、
昭和10年(1935)3月24日に東京市立戸越公園として開園し、
昭和25年(1950)には管轄が東京都から品川区に移譲されました。(区概説板より)

いまも江戸時代の回遊式庭園の雰囲気が良く保たれています。

このたび写真をフォトギャラリーとして展開することを試みてみました。

*ところが、写真のコマが一押しすると、最後までまるごと連続してしまうんですね。これは困ります。ということで、できたらブロックごとに切ってご覧ください。近い内に改善したいと思います。

操作・(画像クリックで拡大/→でスライド/戻りは右下×印)以下同様です。

江戸郊外の鄙の里に広がっていた細川屋敷。お殿様の隠居生活の場、別荘などに用いられました!

戸越の地名 名称としては戦国期までさかのぼるといわれます。
古くは相模や伊豆方面へ向かう道筋にありましたが、人家は少なく旅人の休む場所がなかった。

そこで行永という僧が成就庵という草庵を結び、泉からわき出る清水を旅人に施し始めたのだそうです。江戸時代までは「とごえ」と読んでいたようです。

成就庵を詠んだ古歌にある、
「江戸越えて清水の上の成就庵願ひの糸のとけぬ日はなし」
というのが戸越の由来といいます。

戸越公園
冠木門(かぶきもん)  復元されたもので、戸越公園の東門になっています。 2本の門柱の上に横木をのせただけの簡単なもの。江戸時代には平門をそう指していましたが、明治以降は屋根を持たない門を指すことが多いようです。

戸越公園
安らぐ逍遥の道

戸越村はなだらかな高台にあって、東西に長い台地の真ん中を谷筋が走るといった、地勢的には谷戸(やと)地形を成していました。

家数は331軒の記録があるそうです。江戸郊外の農村地帯でさまざまな農産物を生産していました。なかでも「たけのこ」が名産でした。だから孟宗竹の竹林があちこちに繁茂していたといいます。

戸越公園

そうした間を縫って農業用水が流れるようなのどかで牧歌的なところでした。

かつては湧水もあったといいますが、今はどうなんでしょうね。

木立が緑陰を作ってくれます。

戸越公園
都会の喧騒をはなれ安らぎのなかにひたれます。

品川「戸越銀座」近く、束の間で浸れる癒しパワーのある池泉空間が広がります!

池は数寄屋造りの御殿から眺めるのが最高として作られたといいます。が、残念ながら御殿などの遺構は全く残されていません。

細川越中守綱利は明暦3年 (1657)、玉川上水を伊皿子の私邸に細川上水(のちの三田上水)として引き込むなどしていますが、戸越屋敷の池にも多摩川の水が注ぎこんでいました。

兄を真似たのでしょうか、利重も似たようなことをやっています。

池を満水にするだけのものじゃなかったでしょうが、それにしても、遠い多摩川の水がここまで届いていたとは、ちょっと驚きですね。

戸越上水 武蔵野の湧水もありましたが、池水が不足がちだったことから、寛文3年(1663)から翌年にかけ、利重は細川家下屋敷の庭内泉池用水として、仙川用水(玉川上水の分水)から分水を受け新たな水路を開削しました。

だが維持費がかかるといったようなことから、寛文6年(1666)には廃止され、あとを品川用水が負うことになりました。

戸越公園

品川用水 江戸時代、玉川上水をその源とし、品川まで灌漑の用水路が開かれました。
玉川上水の33分水のうちの最長級で、『上水記』によればその流長は七里半あったとされます。

こうした水路も広域の市街化にともない排水路にかわり、昭和20年代の後半にはほぼ埋め立てられ消滅していったといいます。

町中に突然開ける自然空間と癒し空間に心がアクセス!歴史香も漂ってきます!

自然は四季の訪れをしっかり教えてくれます。庭園を歩くとそれがよくわかりますね。

東京都品川区豊町2-1-30

東急大井町線 戸越公園駅・下神明駅 各徒歩5分


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