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徒歩する東京 ~都会の中の自然と野生を秘めた小天地・占春園の池を散歩する!

占春園の古木

池にしなだれかかる占春園の古木

地下鉄丸ノ内線を降りて、歩いてほんのちょっと7.8分のところ、
こんな近くに自然と野性味のある都市空間があることに驚きます。

まぎれこんだ途端、だれもが自然児になるでしょう。
すべてを忘れ自然色に溶かされてゆきます。

ちょっとと思った時間がどんどん過ぎて行ってしまいます。
きっと心が自然体にもどされてゆくからでしょう。
日々のストレスからも解放されるでしょう!

というわけで、以下そんな都市空間の自然を写真と拙文でお届けします。

関連記事/今日の散歩は大塚の界隈(文京区)・大塚のはじまりは大きな塚でした! (※今回のコ-スと合わせての、「JOINT・SANPO」・「じょいんと散歩」「ジョイント散歩」をお楽しみください!)

 

腰にストレスのかからない椅子!一脚で座る人生かわります!

ちょっとの散歩の時間で都会の中の自然と野生を探検してみましょう!

地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅を降りたら「春日通り」に出ましょう。広い通りを渡り左に進み交番のある広い坂道通り(湯立坂・ゆたてざか)を下ります。

春は桜がきれいな湯立坂。幅のある通りの中央帯が公園(窪町公園)になっています。

湯立坂をどんどん歩き、「千川通り」にぶつかるところまで下りましょう。

窪町東公園の入口から道が占春園に通じています。

季節になるとホトトギスの囀る名勝とされた占春園

占春園(せんしゅうえん)、なんとステキな名称でしょう。「春をひとり占めできる園」という意味らしい。

ここは水戸徳川家2代・光圀の異母弟・松平頼元(まつだいら・よりもと)が、万治2年( 1659)屋敷を構えたところです。
その子・頼貞は陸奥国・守山藩主としで20000石を領し大学頭となりました。

その守山藩の上屋敷内の庭園の名残なのです。
斜面地を利用した自然豊かな庭園となっています。

雑木、草木によぶんな手を入れてなくてし自然の繁りたいままに生かしているようです。

聳える木立ちが、「落英池」(らくえいいけ)にその影が映します。

守山藩    いまでいうと福島県郡山市ですかねそこにおかれた水戸藩の御連枝(ごれんし)のひとつ、水戸支藩でした。
藩庁は守山陣屋におかれました。常陸国にも所領を有していたことから、そこには松川陣屋を置きました。
水戸藩祖の徳川頼房の四男、徳川光圀の異母弟である松平頼元が、寛文元年(1661)に立藩したのが起源となっています。

御連枝   本家筋に嗣子を欠く場合にはそれを継承することもありうる存在としてありました。世継ぎのための。府のシステムといえるでしょう。

御三家(紀州徳川・尾張徳川・水戸徳川)と呼ばれるのがその筆頭です。ご三家からさらに分家して立藩した親藩大名家を指し特別名称で御連杖と呼んでいました。根幹を同じくする枝々が連なっている様子を表した「連枝」がその語源といわれています。

散歩道は斜面と低地を利用し、道脇に様々な樹木がうっそうと生い茂る

ササに覆われた樹木をかきわけように、細い階段状の道が池に向かって下っています。

園内で一番の巨木、桂。

水戸藩・御連枝藩   德川頼房の長男・頼重が讃岐高松、三男の光圀は宗家を相続し、四男頼元が陸奥守山、五男頼隆が常陸府中、七男が宍戸藩松平頼雄。この4家が水戸徳川の御連枝藩でした。

水戸藩・上屋敷(後楽園)と水戸御連枝藩は近接地にあります。

高松藩・上屋敷(飯田橋ホテルメトロボリタン一帯)・中屋敷・伝通院近く。後楽園からそれぞれ500メ-トル、1000メ-トル。

府中藩・松平播磨守屋敷跡(播磨坂)、直線距離で後楽園から約1300メ-トル。

守山藩・松平家屋敷跡、後楽園から直線距離で約2000メ-トル。

宍戸藩・上屋敷、ここだけが少し離れています。文京区関口3丁目(カトリック東京カテドラル関口教会)付近一帯)がそけにあたります。

切絵図を見てみましょう。

神田川をはさんで、水戸藩(後楽園)の向かいには高松藩(ホテルメトロポリタン一帯)の広大な上屋敷がありました。

かつては湧水もあったようです。
中島のある池のまわりをいろんな草木が繁りたいように自由に茂っています。
大名庭園によくある人工的な庭園とはまったく真逆の庭園といえるでしょうね。

伸びた草木をかき分けながらの散策路が回遊状に池のまわりに続いています。

〇松平頼元  常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房の四男として誕生。兄の光圀から額田領を与えられ、支藩の大名となった。和歌を好み、歌集「粛山集」を著している。また、一尾伊織に師事して茶道を学んでいます。

〇松平頼隆  常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房の五男として誕生。兄・光圀より所領を分与されて水戸藩の支藩として常陸府中藩を立藩しました。

池にしなだれかかるように、こらえるようにして老木が繁っています。

池をめぐる小径に面し高さ1メートル半の古い石碑が、ぽつんとあります。
欠損したのをていねいに継いでいるのが痛々しいですね。

薄い線彫りの刻文がうすれかけているので判読しにくい状態です。
延享3年(1746)に建てられた旧守山藩邸碑文です。

散歩中の脳裡には一字一字読んでいると、理解が及ぶような碑文です

長いで~す!そばにある説明板を読んでみましょう。教育委員会でなく「東京教育大学」となっているところが異色ですね。

旧守山藩邸碑文
この碑は、延享三年(西暦一七四六年)春三月に建てられたといわれるから、今から二百三十年ほど前になる。ここ吹上邸を上屋敷とされた守山藩主松平頼寛(三代目)が、その臣岡田宜汎に命じて記させたもので、高さ一.四米、幅〇.七七米の鉄平石に刻まれた碑である。この碑文には、藩祖頼元より頼寛に及ぶ三代の占春園にまつわる記事があり、特に占春園と命名された由来を持り持つ古桜樹や、桜花の春に催された佳会の盛宴などが興味深く記されていて、往時の大学頭邸の景観と歴史が追憶される。

我公之園名占春。其中所觀、梅櫻桃李、林鳥池魚、緑竹丹楓秋月冬雪、凡四時之景莫不有焉。而名以占春者何也。園舊有古櫻樹、蔽芾数丈。春花可愛、夏蔭可憩。先君恭公之少壮也、馳馬試剣、毎繁靶於此樹而憩焉。因名云駒繋。至荘公之幼也、猶及視之。於是暮年、花下開宴、毎会子弟、必指樹称慕焉。我公追慕眷恋、専心所留、遂繞此樹、増植桜数百株、花時会賓友、鼓瑟吹笙、式燕以敖、旨酒欣欣、燔炙芬芬、殽核維旅、羽觴無算。豈啻四美具乎哉。物其多矣、維其嘉矣。偕謡既酔之章、且献南山之壽。我公称觴、顧命臣宜汎曰、是瞻匪亦所為。後世子孫、徒為游楽之場是懼焉。書於石。宜汎捧稽首曰、桑梓有敬、燕胥思危。誦美有辞、陳信無愧。謹寿斯石。万有千載、本支百世、永承景福之賜時延享丙寅春三月  岡田宜汎捧撰  宇留野震謹書

占春園は春爛漫たる桜樹を始めとして四時の美をそなえた名園で、杜鵑も巣を作るという野趣に富み、冬春の候には多くの鴨が園地に聚まり、青山の池田邸、溜池の黒田邸と合わせて江戸の三名園と称せられたという。本学は、その史実をここに記して占春園を永久に記念するものである。                                          昭和52年1月  東京教育大学

筑波大学キャンパスの入口前のにも同様な碑文があります。
こちらも全文を読んでみましょう。

東京教育大学 大塚の數地は、その昔、水戸家の分家である守山藩 主松平大学頭 の上屋敷 であった。
文政 十年(西暦一八ニ七年)に小石川水戸中納言 の礫川邸 が類焼し、当主八代目の斉修公(水戸烈公 の兄)は夫人峰姫と共に駒龍邸に難を避け、そこから大塚吹上の松平大学頭の屋敷に移った。
これを迎えた松平大学頭賴慎公法はよく斉修公(天然子 ),を待遇したので、公はその写意を謝し、吹上邸の庭(占春園 )の景観を称えて詠んだのがこの碑文で、格調高いものである。

丁亥之冬、噪川即罹災。以幕府之命、與夫人屋 烟漂居於守山侯次上印。
气中多山水之勝。園之東有梅林。明年、春、遊于林中賞花、烟忘舊歲之受。
因賦一律、以搶懷云吹上即中山苑東幾株梅樹遠連空落英溪畔千林雪 新月
樓頭一笛圓疎影を留舞鶴 清香馥郁伴詩詞人間何處無春色春色項從此地融
昭和五十ニ年一月  東京教育大学

こちらの漢文も格調が高すぎてなかなか難読ものです。
あらましは次のようなものです。

文政十年(1827)のこと。小石川の水戸中納言の礫川邸(れきせんてい)が類焼し、当主八代目の斉修(ありのぶ)公(水戸烈公の兄)は婦人峰姫と共に駒籠邸に難を避け、そこから大塚吹上の松平大学頭の屋敷に移りました。
迎えた松平大学頭褚愼公はよく斉修公(天然子)を待遇したので、公はその厚意を謝し、吹上邸の庭(占春園)の景観を称えて読んだのがこの碑文で、格調高いものとなっています。
庭ほ回遊することで、旧年からの心の憂いをも忘れることが出来た、という心境ですから、占春園の景観のみごとさに心が癒されたということなのでしょう。

精神を日本の柔道、体育、東京オリンピック、教育に注いだ嘉納治五郎

嘉納治五郎銅像 [万延元年(1860)~昭和13年(1938〉5月4日]

明治治36年(1903)、東京高等師範学校(戦後の東京教育大学、筑波大学に改組)が、
湯島聖堂のところからこの地に移され、占春園は、校庭の敷地の一部になりました。

東京高等師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)の校長ならびに東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)校長を務めました。

明治26年(1893)より大正9年(1920)までも途中に中断があるものの通算25年でした。
歴代校長の在任期間としては最長といわれています。

明治15年(1882)、講道館を開設し、よって「柔道の父」ともいわれます。
ここにあるものと同じ銅像が講道館本館にも建てられていまい。

紋付羽織姿の凛とした立像で毅然としたもの。
本来のものは戦時中の金属供出され、作者・朝倉文夫の手元に残された原型を元に復元されたものといわれます。

ここにある銅像もその原形をもとに制作されたもので、この原型から造られたものか゜ほかに5体あります。

明治42年(1909)、東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となりました。]

明治44年(1911、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)を設立し、その会長となりました。

明治45年(1912)、7月、日本が初参加したストックホルムオリンピックでは団長として参加ました。。

昭和11年(1936)、IOC総会で、昭和15年(1940)の東京オリンピック(日中戦争の激化などにより中止、幻のオリンピック)の招致に成功しました。

昭和13年(1938)、カイロ(エジプト)でのIOC総会からの帰国途上、5月4日(横浜到着の2日前といいます)、氷川丸の船内で肺炎により死去しました。

このような経緯と貢献があることから「日本の体育の父」ともいわれています。

上りも下りも階段状の細道が園内へとみちびきます。

手を加えすぎない自然、それが自然であり、自然の命ものびやかさをます

幸田文さん寄贈の樹木   幸田露伴は筑波大学附属小学校出身で、幸田文(作家・随筆家)は露伴の次女にあたります。

文の一人娘に青木玉さんがおり、孫に青木奈緒(ドイツ文学、随筆家)さんがおります。

幕末の動乱期、水戸藩は天狗党の乱で混乱をきたしていました。
時の藩主はそぞろ歩きながらそんな時世に何をおもったのでしょうか。

なんともいえず、[思惟する庭」におもわれます。

占春園
無料、4月~9月・8:00~19:00/10月~3月・8:00~17:00、無休、03-5803-1252(みどり公園課)

小学校側の石段をのぼると表門に出ます。

その近くに一基の碑が建立されています。

行幸記念碑  傍らに筑波大学による説明板が建てられています。

行幸記念碑  昭和6年10月30日東京高等師範学校創立60周年記念式典に天皇陛下の行幸を仰ぎ、それを記念して建てられた。行幸にあたり、「健全ナル国民の養成ハ一ニ師表夕ルモノノ徳化ニ竢ツ事ニ教育ニ従フモノ其レ奮励努カセヨ」との勅語を賜わった。 (昭和7年10月30日建立)  昭和57年10月1日   筑波大学

昭和6年(1931)10月に東京高等師範学校創立60周年記念式典が行われた時に、
天皇陛下が行幸されたことを記念しての「行幸記念碑」です。

隣接する「教育の森」。秋たけなわの紅葉色

紅葉

或る秋の紅葉

教育の森公園

東京教育大学の跡地に作られた「 水と緑の防災公園」。災害時の広域避難場所として、中央部が避難広場とされ、自由広場として隣接する文京スポーツセンターと一体化されている。

筑波大学   明治5年( 1872)、日本で最初に設立された師範学校( のち東京教育大学)を前身とする大学。江戸幕府直轄の昌平坂学問所(昌平黌)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、創立は日本で最も古い大学群の一つとなっています。

筑波大学付属小学校  明治6年(1873)、東京師範学校の附属小学校としてて昌平坂学問所跡に設立された、国の制度に基づく日本初の小学校で、官立私立小学校の中において創立年が一番古い小学校とされています。

「 東京教育大学」が創設され「 」東京教育大学附属小学校」と改称されましたが、昭和53年(1978)に東京教育大学が閉校d、筑波大学の開学にともない筑波大学付属小学校となりました。

文京区歌・「  ああ大江戸の昔より」
作詞・佐藤春夫/作曲・弘田龍太郎

あゝ大江戸の昔より ここは学びの土地にして 紅の塵 近けれど/緑の丘は静かなり/書(ふみ)よむ窓の多(さわ)なれば/
家 自(おの)ずから品位あり/都は文化の中心地/わが区は都の文京区

とりかこむ樹木の黄葉が美しいです。

東京教育大学の校章は「五三の桐葉型」である。

この桐章は東京高等師範学校の附属小中学校(のちの筑波大附属小、同附属中・高)で校章として制定されたことに起源を持つものといわれます。

明治天皇が行幸された際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによるものですが、五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となったいきさつがあるそうです

その後、「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、東京教育大学学生バッジや、筑波大学のシンボルマークに受け継がれてきています。

教育の森公園から春日通りはすぐです。

 

春日通りに面してある「茗渓会館」(めいけすかいかん)。五三桐の紋章が印象的です。

茗渓会館(めいけい かいかん)   筑波大学およびその前身である東京教育大学、東京高等師範学校の同窓会・社団法人「茗渓会」の施設でとなっさています。一般の人も入れますから散歩のあとでくつろいでみたらいかがでしょう。

占春園、どうですか?
ちなみにこのようなようすを、荒れているという人もおりますが、人の感性はそれぞれ。

ワタシはちっとも荒れているとはおもわないのですが…。
自然派や野生派好きにはあれでもモノタリナイものがあるかもしれませんね。
ということで、このような庭園もあるということをお届けしてみました。
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