兎,卯、うさぎ、浦和で跳ねる!兎歳には関東のうさちゃん神社へ参拝しょ~ん!
2023年は卯歳なんですよね。
で、一足先にと言っちゃなんですが、浦和の調神社(つきじんじゃ)にお参りに行ってきました。
中山道を歩くたび必ず立ち寄る神社なのですが、近隣に用があり、今回はその帰り、直々参拝しました!
中山道の浦和宿といえば江戸日本橋から数えて三番目の宿場町。
調神社 一風変わった名のお社が鎮座しています。
普通には「ちょうじんじゃ」とか「しらべじんじゃ」とかと読んでしまいますね。
地元の人は「つきのみや様」(月宮)と美しく呼んでいます。
江戸時代に浦和御殿というのが設けられたことが、浦和宿の興りとされていますが、それ以前では調神社の門前町として栄えていたと言われます。
運気アップ、パワースポット。お参りすれば運(運勢)がツキます!という噂!!
祭神・ 天照大神、豊宇気姫命、素戔嗚尊命
神域を護るのは狛犬ではなく兎さん、狛兎です。
社殿にも兎の彫り物がぴょんぴょん。
境内、社殿のあちらこちらに兎像や兎の彫刻がみられます。
その曰くですが。
民俗学的には、調(つき)が月と同じ読みであることから、月待信仰と結びつき、月の神の使姫(うさぎ)の石像、彫刻等が配されるようになったのだそうです。
*月待信仰 十五夜 、 十六夜 、十九夜、二十二夜、二十三夜などみな同じ。こうした月の夜、「講中」の仲間が集参し、飲食を共にしたあと、 経 などを唱えて 月 を拝み、 悪霊 を追い払うという宗教的な民俗行事。 江戸時代 の 文化 ・ 文政 のころ全国的に流行したといいます。
しかしながら、学術的にみると、古代の「租庸調」(そようちょう)」の「調(ちょう)」が反映しているのだそうです。
租庸調は古代の税制ですね。
「調」は都に送られる貢物(みつぎもの)。その土地その土地の特産品が、「御調物」(みつぎもの)として都に送られました。
古代、ここは、関東一円(武蔵、上総、下総、安房、上野、下野)から集められた初穂や貢物の集荷場だったそうです。
*初穂(はつほ) 日本において秋の稲の収獲に先立って神に献じる熟した稲穂のこと。早穂とも書き、「はつほ」と読みました。
つまり、「調」として集荷したものを貯蔵するいくつもの 倉が造営された。そうした倉庫群の中に恭しく鎮座された社だったというわけです。
アラ、アレ、何か、神社に付きものの、アレが見えませんね!アレですよ!
やっぱりない!この辺りにあっていいはずなのですが。
みあたりませんね。
あっていいはずの「鳥居」ですよ。それがないんですね。こんなのも珍しい!
それというのも、さきほどの「御調物」が関係しているんだそうです。
各地から伊勢神宮や都に送られる荷物が頻繁に出入りすることから、搬入搬出の妨げになるので、鳥居をなくしてしまったのだとか(そんなことで、簡単に、そうなっちやうわけ!)。
鳥居(とりい) 神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すものえ、一種の「門」です。
浦和宿の古建築を生かした「日本茶カフェ」でゆったり美味しい寛ぎの旅人時間!
新しい街並みに古くからの建物が程よく残っていた浦和宿でしたが、今回来てみたら、その少なさに唖然とさせられた。
そんな中で、旧中山道沿いで、江戸末期から茶販売を行う『青山茶舗』さんが、どっこい昔の佇まいを残していた。
一服がてら、中をズーム‐インさせてもらいました。
店先にドーンと茶箱!
昔あったね。茶箱。
本来はこうだったんだよね。
テラスからの眺めは昭和時代、どこにもあった田舎の庭という雰囲気。
建物は明治24年(1891)築造で、茶づくりの作業場だったものをリメイクしたもの。
お茶のほか、茶道具、陶器、瀬戸物なども販売しています。
「涼風」かとばかり思っていたんですが「楽風」でした。
『楽風』(らふ)
艶光りする古建築の落ち着いた店内。
1階は種類が豊富な日本茶を、選んで味わい楽しむことができる「日本茶カフェ」。
2階は「ギャラリー」となっていて絵画、写真など多彩な展覧会を開催しています。
むき出しの土壁が妙な郷愁をさそう。
今回、二階にはお邪魔しませんでした。
*以下の6点は以前の来店時に撮影したもの。
二階では土壁や太い梁を随所に見ることができます。
もう時間がない。あと一つ、ここだけはというところにいってみました。
慈恵稲荷神社の「市場定杭」(浦和の市場)。御免市場が浦和繁栄の礎がここ!
天正十八年は1590年です。小田原北条氏が滅亡し、時代が戦国から近世の社会に移り変わった画期的な年でした。
*御免 「免」は「許す」という意味。免許・許可の尊敬語。お出入りごめん、天下ごめん、お役ごめん等々。
浦和の市場は室町期くらいに開設されたものと考えられ、月6回開かれるので六斎市と呼ばれ、毎月2と7の日に開かれたため「二・七市場」ともいわれていました。
江戸後期に活躍した戯作者・十返舎一九は、
「しろものを積(つみ)かさねしは商人(あきひと)の おもてうら和の宿のにぎはひ」
『続膝栗毛 十二編ノ下』
と、浦和宿の賑わいぶりを詠んでいます。
いまはサッカー「浦和レッズ」の本拠地としての浦和ぶりをみせている。
で、気になる運勢ですよね、占い!
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