歩くことに意味を求めすぎないこと。自分をその方向に順応させることがだいじ!
散歩や徒歩やウォ-キングなどやってみたいが、なかなか踏み切れない。
始めてみても続かない。すぐに飽きてしまう。
そういった思いをかかえ、そこで足踏みをしている人が多いようです。
そうした人たちの多くは歩くことだけに意味を求めすぎているのではないでしょうか。
歩く自分にこそほんとうの意味があることを見失いがちです。
そこで今回は前回の続きということになります。
前回、わたしの実用としてのことにちょっとふれ、
散歩、徒歩、歩くといった行動を、どうしたら自分なりの実用にできるか、どう実用として取り入れるか。
そのあたりにこだわって歩くことを試みるのもいいのではないでしょうか、という話しでした。
散歩にこだわりも意味もないという辛辣な意見もありますが、どういうものでしょう。
徒歩や歩くといったことになるとただ意味なく歩くというのは苦になり持続させるのが難しいと思います。
そんなことで、ここでは実用化するに心掛けたいことをちょっとまとめてみたいとおもいます。
ここでだいじなのはあくまで「自分」です。「自分にとって」ということです。
たとえそれが社会的に見て無益なものであっても自分にとって有益であればいい。
自分にとって必要なものであればいい、心地よいものであればいいわけです。
この実用というコトバの中には自分にとってメリットがある、利得がある、効果がある、健やかさを感じるといったさまざまな要素がふくまれるといっていいでしょう。
つまり広く解すれば自分にとってプラスの喜びになることだったら何でもいいわけです。
自分流の「こだわり」をもつことで具体的な道すじがみえてきます!
どんなことにこだわりたいか、こだわってみたいか、リストアップしてみましょう。
あらゆるこだわりを総動員してみましょう。
ひとつのこだわりでなく、いくつかのこだわりをプラスしたり、組み合わせたりしてもいいでしょう。
あなたなら、どんなところにこだわりますか。
日常でこだわることは少ないのですが、あえて徹底してこだわってみましょう。
こだわることを見出すことによって、それをどう実用化すればよいのか、その方策、技法といったものがみえてくるでしょう。
さらには具体的な道すじが開けてくるでしょう!
そのさきに「歩くこと」と「心」の喜ばしい関係がみえてくるでしょう。
こだわるほどに自分流のこだわりが膨らんでゆくでしょう。
だいじなのは自分らしくであり、人まねでない自分流です。
自分流の散歩や徒歩や歩くことのカタチをつくりましょう。
つまり、こだわりをもった、ひとりのプランナ-になってみることです。
立教大学観光学部の学生たちが、「歩く」・「まなざす」・「集う」の3つのテ-マで東京を案内すします。
こだわりのカタログ本です。こだわり方の参考にもなります!
ひとまずカタチとしてまとまったら、具体的に実践してみましょう。
まずは試みやすいささやかなことからはじめてみましょう。
最初から過大なことは中倒れしやすい、つぶれやすいものと心得てください。
すべては小さな積み重ねです。あまり欲張らないことです。
小さな一歩一歩がだいじです。
達人をめざすことはありません。ちょっとしたこだわり屋でいいのです。
そして、できたら素敵な工夫を凝らし、はじめはちょっと丁寧にやってみましょう。
こだわりの内容をグレ-ドアップしたり、こだわりの数をふやしてみましょう。
自分だけの小さな楽しみがあればいいんです。
こだわりの効果がみえてきたら、それをより効能のあるものへとシフトしてゆきましょう。
こだわりを増やすのもいいですね。ふえると歩く半径もひろがります。
そうすることが、いつか、きっと、自分らしく生きるための散歩術のひとつになるかもしれません。
自然体で無理のない、自分らしいものとして楽しめることがだいじです。
これって好ましい、これって心地よい、と感じる自分がいることを実感できるものにすることです。
歩くだけに意味があるのではなく、歩いている自分にこそほんとうの意味があることを見出しましょう。
少し大袈裟ですが、歩くことが生きる喜びになり、生きることが歩ける喜びになればしめたものです。
今回は少し抽象的なjまとめになりました。
次回は具体例をあげてお話してみましょう。
都内には落語の舞台がいくつもあります。
落語のネタの舞台を訪れ、噺にそって歩くという「こだわり」の一冊。
噺の生まれたいわれ、楽しみ方、その土地ならではのとっておきの話など、ユニークな散歩本です。