東京の池散歩案内・中野哲学堂菖蒲池(中野区)井上円了の哲学の庭!

哲学堂は東洋大学(文京区白山)の創始者・井上円了によって開かれました。

その起源を東洋大学では、「井上円了が明治35年(1902)に大学の移転用地として約1万坪の土地を購入したことに始まる」としています。

ですから、ほんとうのところ、円了はこの哲学堂のある和田山(俗にそう呼ばれていました)の地に大学(東洋大学)を作るのが理想だったんですね。

盛り場からなるべく遠ざけたい、都心から離れた地に校舎を建設したい、それに叶ったのが哲学堂のある一帯でした。

ちなみに現在の東洋大学白山キャンパスもいくぶん喧騒から離れた白山丘陵に建てられています。

しかし大学は白山の地に開校されました。で、この土地が宙に浮くことになったわけです。

といったような歴史的背景のある哲学堂です。開園は明治37年(1904)でした。

以下、哲学堂公園の一角にある「菖蒲池」を写真と拙文でご案内します。

「遠く深くを見る楽しみ」を持ち歩きましょう!
バッグやポケットの中からサッと出し入れできて、手のひらに収まるサイズに凝縮された一級品!
ワンタッチ開閉式。反対側から覗けばルーペとしても使えます。

「哲学堂公園」からご案内とすることにします。

哲学堂公園の一帯は中野区の花見の名所となっています。

妙正寺川北岸の高台と傾斜地をうまく利用して作られている哲学堂。

精神修養の場として、哲学や社会教育の場として整備され、井上円了の哲学観が視覚的に表現された、世界でも類をみない哲学をテーマとした私的な公園でした。

いまはは中野区の「哲学堂公園」となった公園エリアに、哲学関、哲理門、三学亭、宇宙館、四聖堂、六賢台・・・といった哲学の七十七場(哲学を理解する上で必要な哲学的概念の名称を付けたポイント)が点在しています。

「哲学のテ-マパ-ク」と呼ばれたりします。

哲学堂公園の北面の傾斜地を下る途中に滝があります。

滝(循環水利用)はせせらぎとなって流れ下り低地に広がる菖蒲池に注いでいます。

季節になると菖蒲の花が咲くことからその名が付けられたといいます。

近くには「つつじ園」もあり初夏にはつつじの彩りにかわります。

井上円了は大学校舎の建設において、妙正寺川に近い低地部は湿気がこもりやすく衛生面で問題があることから除外し、やや起伏のある丘陵地に校舎をつくることを考えたとされます。

ですから低地部のこのあたりはずっと空閑地となっていたようです。

父円了亡き後、遺言により嗣子玄一は、財団法人哲学堂を設立し、財団による哲学堂の運営を進めました。

時は昭和16年(1941)のこと。玄一は、父の遺訓をくみ、哲学堂の精神と主義を時代の変化の中で表現することを模索し、

この低地一帯を利用し須弥山を模した※須弥苑(すみえん)を造成する「哲学堂外苑計画」というものを発表しました。

※須弥  神仙思想に基ずくもので、池のなかに蓬莱島や鶴島、亀島を対にして配置したりする庭園表現。

建物には「釈迦涅槃像」と「聖徳太子立像」を納めようと考えていたようです。

しかしこの構想は、第二次世界大戦の機運が高まってきたことで断念することになりました。大量の物資を哲学堂の工事に注ぐことは社会の目があり、批判もあり、結局は諦めることとなりました。

先行して制作していた像の置き場がなくなってしまいました。そんなことから四聖堂と宇宙館に置かれることとなりました。

この2像は乾漆造りで制作されました。金属だと軍に接収(金属回収令・金属供出)され戦機の材料とされてしまう可能性が高かったため、後世に残すことを目的として乾漆造りとたしたのだそうです。

哲学堂が建設される以前は、妙正寺川を望む※崖線には茶畑が広がっていました。

崖線(崖線)   この場合は、妙正寺川の浸食作用によってできた崖地の連なり。多摩川の浸食作用による「国分寺崖線」が有名。

明治42年(1909)測量図。一帯には茶畑、桑畑の地図記号がみえます。井上円了の菩提寺・蓮華寺もみえます。

構想だけで実現しなかった哲学堂の精神が漂う池畔逍遥!

池には木の遊歩道が配されており水辺をぐっと身近に感じられるようになっています。

玄一の「哲学堂外苑計画」頓挫に追い打ちをかける出来事が勃発しました。

陸軍が哲学堂公園内に貯木場や高射砲陣地を造ろうと没収にかかりました。

そのことに対抗する手段として、
玄一は土地を東京都へ寄付しました。放棄するのは苦渋の決断でした。

東京都がそれを受理したのは昭和19 年 3 月25 日だったと記録されています。

都立公園としての開園したのは戦後の昭和21 年 10 月 26 日のことでした。

池の畔に生える水草のガマが自然の彩りをそえています。

昭和 50 年 2 月 1 日、東京都が東洋大学より残地を買収し、同年4 月 1 日に中野区に移管しました。

ここに中野区立「哲学堂公園」としての歴史が始まったわけです。

といった変遷があることから、池そのものは東京都に移管される前後に造成されたものらしく、それもいったんは湧水が枯れてしまい、中野区の整備事業で、水の景観が復元された聞いています。

ということは、つまり人工の池ということになりますが、もともと湧水が溜った小さな自然池が点在していたのでしょう。

いいかえれば「菖蒲池」は、玄一の構想のみで実現しなかった幻の「須弥苑」をモチーフにしたものともいえるでしょう。

わたしたちはそれを心の中で完成させなくてはいけないのかもしれません!

のんびりと逍遥するにはもってこい。全体をぱっと見渡せる大きさがいいですね!

池畔で哲学的な瞑想にふけるのもいいですね。

池には鯉や亀が生息しています。

池のまわりに菖蒲が植えられています。

では、菖蒲池から少しはなれ、妙正寺川に沿って西に進んでみましょう。奥へと小路が続きます。

ポケットに入る超小型の単眼鏡。明るく鮮明な視界。微細が哲学的になるかもしれない!

哲学の小路を散歩すると自然と「哲学の庭」へいざなわれます!

右手は哲学堂公園の広がる斜面の崖地で、古代は妙正寺川の崖線だったとおもわれます。

このあたりの急斜面は100メ-トルほどの高低差があり、崖の割れ目に水がにじみ出て、ところどころで滴りおちています。

斜面下の「唯心庭」に「心字池」があります。

井上円了の時代に造られたもので、いろんな名の池が連なっています。

滴りおちて集まった水は水はこうした池に流れ込んでいます。

池には「概念橋」がかかり「理性島」へ通じているといった具合です。

石が造形的にうまく組まれています。

松林の広がる斜面の麓には、かつては湧水が豊富に出ていました。湧水は「唯物園」の「先天泉」や「進化溝」、「唯心庭」の「自然井」の水源となり、ひとつの水系をつくっていたといいます。

円了はそうした湧水をヒントに哲学的な名称をもたせた池を作ったのでしよう。

湧水が枯れた後は、水がない池がそのままの状態で放置されていました。

水がもどったのは中野区の整備事業によるもので、地下水をさく井で確保して「先天泉」と「自然井」から吐出させ、「進化溝」や「心字池」の水源として使用しています。

ここもさく井からの循環水でしょうが、まったく自然と一体化しています。

このあたりにかつて「望遠橋」が架けられていました。最初に架けられた「望遠橋」は、ロープで吊り籠を渡す『野猿』のようなユニークな形だったようです。

2度目に建設された橋は通常のものでしたが洪水で流されてしまいました。

井上円了は「唯物園」から見て、妙正寺川を挟んだ川むこうを星の世界(星界)に例えました。

つまり「星界洲」とし、そこへ渡る橋に、観象(気象を観察)に用いる望遠鏡にちなみ、天文観察に関係した名前の「望遠橋」と名付けました。

なんとも高尚なジョ-クですね。井上円了の人柄がにじむ一コマといえるでしょう。

いまその雰囲気は失われ桜並木がずっと続いています。

妙正寺川

源流は妙正寺池(杉並区清水町)です。

池の水は、妙正寺川となり、江古田で江古田川の流れを合流した後、新宿区下落合で神田川に合流します。

地名の「落合」は二つの川が落ち合うところという意味から名付けられたといいます。

いまはコンクリートで護岸されていますが、昔は田畑の中をゆったりと流れていたといいます。

このあたり一帯の農地をうるおす貴重な灌漑用水でした。

しかしまた自然河川ならではの洪水も引きおこしたことも確か゛した。

大きな洪水は、

昭和13 年(1938) 、氾濫により「不二橋」が流出しました。
昭和 16 年(1941)、氾濫により「望遠橋」が流出し、唯物園にも甚大な被害が及びました。

散歩しながら自の中の哲学めいたものを呼び覚ましてみるのもいい!

妙正寺川に架かる青い橋を対岸へと渡ると「哲学の庭」が広がっています。

ここは井上円了の13 回忌にあわせて開かれた「鏡花園」が造園されたところでした。

ワグナ-・ナンド-ル(ハンガリーの彫刻家)による、ガンジーや聖徳太子など、古今東西の宗教・哲学・法学を代表する偉人たちの彫像が、ゆったりした空間のなかで3つの輪に分かれて配されています。

ワグナー・ナンドール(Wagner Nandor、日本名:和久奈 南都留)

第一の輪

第一の輪

中心にある真理の球をかこみアブラハム、エクナトン、キリスト、釈迦、老子が語り合っています(アブラハムは顔を伏せています)

第二の輪

ガンジー、達磨大師、聖フランシス。

「第二の輪は、文化、時代は違っても同じように悟りの境地に達して、同じようにそれぞれの社会で実践し、同じように成果を得た人々、ガンジー、達磨大師、聖フランシスがこのグループです。」

第三の輪

残る3体の像がハムラビ、ユスティニアヌス、聖徳太子。

「第三の輪は、法の輪で、異なった時代に於いて各々法を作り、現存する法律の主流を作った人物像です。」

梅林   ここも井上円了の13 回忌にあわせ「鏡花園」と同時に造園されたといいます。

名残りの梅が桜に負けじと咲き誇っていました。

梅林からは妙正寺川に沿って下り、哲学堂通りの四村橋(しむらばし)まで歩くのがいいでしょう。

妙正寺川に架かる四村橋

橋のたもとにバス停もあります。バスは西武池袋線・江古田駅、西武新宿線・新井薬師駅、JR中野駅へと通じています。

四村橋から上流方向を振り返ると、右手は左岸段丘(和田山)にある哲学堂公園、左手はかっての片山村の田圃に設けられた妙正寺川公園。

和田山には源氏の武将、和田義盛の館があったとの伝説ももありますが、同様の伝説があちらこちらにありますから、どんなものでしょう。

そういった伝承もある丘陵地に哲学堂公園は広がっているわけです。

ということで、ひとまずご案内はここまでで〆といたしましょう。

今回を記すにあたり、以下の著書に多大な恩恵をうけました。

『井上円了の教育理念~歴史はそのつど現在が作る~』(東洋大学発行)

哲学堂公園

入園料 無料

開園時間 3/1~9/30  8:00~18:00  10/1~11/1 8:00~17:00  12/1~2/末 9:00~17:00

休園日/年末(12/29~12/31)

TEL 03-3951-2515

交通  西武新宿線「新井薬師前駅」から徒歩12分/都営大江戸線「落合南長崎駅」から徒歩13分

西武線池袋線・江古田駅、西武新宿線・新井薬師駅よりバスが出ています。

哲学堂公園公式サイト/http://tetsugakudo.jp/

 

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