令和4年(2022)・「寅」干支参り~毘沙門天(多聞天)が寅の代わり引き受け候!

吾輩は毘沙門天(ビシャモンテン)でござ~る

せっかくならコロナを踏み潰してもらうことにしょう!

なんじゃこら?~「おまじない」みたいなものです!つぶやいてみゃんせ

≪毘沙門天神呪≫

  おんべいしらまんだやそわか

今年の干支は「寅」、「五黄の寅年」です。これを逃すと次は36年後ということになります。

というようなこともあって、初詣には干支神様の「寅」、「虎」、「トラ」、「とら」をおまつりする社寺に参拝してみるのもいいですね。

ところで、じゃどこに行ったらいいのってことになりますが、この干支神様は、毘沙門天(ビシャモンテン、多聞天・タモンテンとも)という有名な神様がかわりをつとめております。

故事によると、毘沙門天がお姿を現されたのが寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻ということから、縁が深~イものとされているんだそうです。

※五黄の寅年   寅年が3回めぐってくるうちの1回だけが、「五黄の寅年」。最強の金運をもたらすとか…。九星気学の「五黄土星」と十二支の「寅年」をあわせた呼び方で、 九星気学は全部で9つの星を持ち、毎年つかさどる星がかわると言われています。 「五黄土星」は九星の中でも最もパワーがある星で、他の8つ星をも支配する、強力な星と言われています。

ということで、以下、都内にある毘沙門天(多聞天)を祀りしている社寺のご案内をお届けします。

東大寺戒壇堂 四天王像 塑像 天平時代(パンフレットより)

「四天王」のお仲間で、つまり持国天・増長天・広目天・多聞天(=毘沙門天)となります。

法隆寺や広隆寺、興福寺、東寺なの有名寺院で四天王が揃い踏みしていますね。

そのスタイルをみてみましょう。

左手に捧げる「宝塔」からは智慧と財宝を湧出して人々に無量の福徳を施与し、右手に持つ「槍」は悪行や煩悩を幸福にする力を表しているといいます。

白虎(びゃっこ)の呼び習わしもあり特に日本人には人気が高いものとなっているそうです。

毘沙門天

(「たもんでん」とも。多聞はVaiśravaṇa の訳。毘沙門と音訳。常に仏が説法する道場の守護にあたり、法を聞くことが多いのでこの名がある) 四天王の一つ。須彌山(しゅみせん)の北面中腹に住し、北方を守護する天王。多数の薬叉衆を従える。その形像は武装形にあらわされ、宝塔を捧げる。多聞天王。多聞。

出典 精選版 日本国語大辞典

毘沙門天の特徴的なところをざっとあげておきましょう。

  • インド神話に登場する、富と財宝の守護神「クベ-ラ」を前身とする毘沙門天で、「多聞天」の別名も持っています。
  • 仏教では四天王の一尊に数えられる武神。
  • 融通招福のご利益がある神様として七福神のお仲間のひとりです。よって毘沙門あれば自ずと「七福神めぐり」もあります。
  • 戦い神である名残から、七福神の中で唯一武将の姿をしているのが特徴です。
  • 一般的には右手に宝棒、左手に宝塔を持ち、足の下に邪鬼を踏みつけているかっこうで描かれることが多いです。

あと、こんなことも補足しておきましょう。

よく「〇〇四天王」とかいうことがありますが、この「四天王」とは帝釈天に仕える仏さま4人のことを指し、鬼を支配する守護神、仏教の守護神とされています。

それぞれ持国天、増長天、広目天、多聞天と言い、順番に東、南、西、北を守る神とされています。

一尊、つまり単体で祀られるときは「毘沙門天」とよばれ、四天王として祀られるときは「多聞天」と称されるようです。

武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめ「毘沙門の申し子」といわれたといいます。

志貴山の毘沙門天に祈願してうまれたのが楠正茂で、幼名を多聞丸と名づけられたという話しも有名ですね。

中国では東西南北の四天を守護する東の青龍(せいりゅう)・西の白虎・南の朱雀(すざく)・北の玄武(げんぶ)、総じて「四神」として信仰を集めていました。

慶長8年(1603)、徳川家康によって江戸幕府が開かれたとき、政治の中心を江戸としました。「江戸城」を中央にかこみ中国の四神にならい、東方の平川・隅田川を青龍の地。西方の東海道を白虎の地。南方の江戸湾を朱雀の地。北方の本郷台地・神田山(駿河台)を玄武の地。合せて四神相応の地とみなした都市づくりを進めました。

で、どう祈るの、拝むの?いささかまごついてしまいますね。

そこで最後に参拝の仕方。

簡単にいえば、 毘沙門天は仏様の仲間です。 ですからお参りする場合は、神社のように「二拝二拍手一拝」をする必要はありません。静かに手を合わせて(合掌)。さきにあげた、≪毘沙門天神呪≫ 「おんべいしらまんだやそわか」(真言)をあげるとなおよいでしょう。

さて祈りの散歩というところで、次は干支の寅神さまをお参りにゆきましょう~!


新宿区・神楽坂/善国寺・毘沙門天

都内で「寅」にまつわる神さまといえば神楽坂「善國寺」の毘沙門天でしょう。

交通的にみても一番地の利がきいたところにあります。

本尊・毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として親しまれてきました。

なお、加藤清正の守本尊だったともいわれ、「江戸の三毘沙門」のひとつとされ、芝・正伝寺・浅草・正法寺の毘沙門とともに有名でした。

文禄4年(1595)、徳川家康が寺地と「鎮護山・善國寺」の山号・寺号を贈って開基しました。

初代住職の日惺上人(にっせいしょうにん)が開山。池上本門寺12代の貫首を勤めた上人といわれます。

はじめ日本橋馬喰町に開山されましたが、火災により麹町を経て、寛政5年(179)牛込の現地へ移されました。

徳川家とのゆかりもあり、徳川宗家(将軍家)、田安・一橋家の祈願所でもありました。

ゴリラじゃござんせん、トラです

初詣の期間にあたるお正月、それと5月・9月の「初寅の日」に限り御開帳されています。

12年に一度の寅年の初詣には一段と賑わいをみせます。

飯田橋口から神楽坂に入ると不二家のペコちゃんが迎えてくれます。

全国でここにしかないペコちゃんです。

ペコちゃんが手にもっているのは「ペコちゃん焼き」。

ここでしか売っていないペコちゃんスイ-ツです。

ペコちゃんは衣装もちですから、いろんなコスチュ-ムでお出迎えします。

こちらから☛毘沙門天

新宿区神楽坂5-36/03-2369-0641
JR飯田橋駅西口より徒歩7分
東京メトロ有楽町線・南北線・飯田橋駅B3出口より徒歩5分
都営地下鉄大江戸線・牛込神楽坂駅AA3出口より徒歩6分
石畳、横丁、路地といったところにかつての花街の名残りが漂っています。

港区広尾/天現寺・毘沙門天

港区麻布の天現寺は、山号がズバリ多聞山です。わかりやすいですね!

寺名に由来する広尾の「天現寺橋」の程近くにある禅寺。

本堂のご本尊・毘沙門天は麻布の毘沙門さま(多聞天)として江戸時代ころから広く知られていました。

中央の厨子に秘仏としておさめられいする木造立像で、区内では珍しい平安時代後期の彫刻様式をもって制作されたたものだそうです。

由来によると、樟〈くすのき〉の一本丸木造りで、聖徳太子の作といい、また、かつて多田源氏の祖・多田満仲〈ただみつなか〉の念持物であったとも伝えられ、その故をもって、のち源氏累代の守護神として崇められるようになったもの、と語られているそうです。

文京区の小日向御簞笥町にあった臨済宗大徳寺末の普明寺の法灯を受け継ぎ、享保4年(1719)この地に移転し、多聞山天現寺と改めました。

徳川家康の生母・お大の方・伝通院殿〈でんづういんでん〉)もこれを篤く信仰したといいます。

将軍吉宗をはじめとして代々の将軍の御成がありました。

本尊はのち幾人かの手を経たのち広尾・祥雲寺の怡渓宗悦(けいそうえつ)のもとに託され、怡渓の法嗣で天現寺開山の良堂宗温(りょうどうそうおん)によって天現寺内の一堂に安置されるに至ったとされています。

ウ~ン、睨みがきいています。

港区南麻布4-2-35/03-3446-3333

最寄り駅
東京メトロ日比谷線・広尾駅1番出口より徒歩5分

港区立郷土歴史館   こちらから☛毘沙門天像

港区芝 /正伝寺・毘沙門天


由来によると慶長7年(1602)、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)が晩年の一時期を過ごされた草庵だといいいます。

その後、この庵は日蓮宗の江戸出張所となり、今も使われる名称の「松流山正伝寺」として正式に寺院になりました。

正しくは「正傳寺」。「開運大毘沙門天」をお祀りしています。

天台宗の開祖、伝教大師(最澄)作と伝えられる尊像です。

江戸時代のガイドブックみたいなもの、「江戸名所図会」

その中に当時の賑わいぶりが描かれています。正伝寺をお参りする庶民の声がきこえてくるようです。

神楽坂の善國寺さん、港区芝の正伝寺さんとともに「江戸三毘沙門」として人気が高く、多くの参拝者が訪れ活気を呈したといいます。

通常は拝観できませんが、毎年正月、5月、9月の{初寅の日}には御開帳、ご祈祷が行われ、限定の御朱印などが授与されます。

江戸時代の「百足小判」を現代に復刻したお守りが配られます。これは「毘沙門様の眷属の百足(むかで)が、「お足」=「お金」が多いことにちなみ、金運上昇、商売繁盛などのご利益があるとされています。これは珍重もの。頂くっきゃない!

‎ウ~ン、唸ってるね。トラ、トラ、トラだ!

港区芝1-12-12/03-3451-1614

宿坊 正伝寺|TEMPLE HOTEL SHODEN-JI

最寄り駅

JR浜松町駅・田町駅徒歩11分

都営地下鉄大江戸線・浅草線大門駅 A1出口より徒歩10分

都営地下鉄三田線・芝公園駅 A1出口より徒歩8分

三田線・三田駅 A6出口より徒歩9分

台東区・浅草/正法寺・毘沙門天

浅草の浅草寺うらのほう、旧日光街道に面して建つ日蓮宗の寺院です。いまは大きなビルの中の寺院。

神楽坂の善國寺、芝の正伝寺とともに「江戸三毘沙門天」に数えらていた一寺です。

すっかりモダンな建物にかわってしまいました。

ご本尊は釈迦如来坐像、毘沙門天像。

慶長6年(1601)今戸に創建、延宝9年(1681)当地へ移ってきたそうです。

まるでオフイスビルの雰囲気ですね。

ここから少し足を延ばすと若い女性に人気の、縁結びで有名な「今戸神社」があります。

今戸神社は招き猫の発祥の地としても知られています。

TBSテレビで放送されてヒットしたドラマ「恋つづ(恋はつづくよどこまでも)」のロケ地として、多くのファンが訪れるドラマの聖地にもなっています。

こちらから☛毘沙門天

台東区東浅草1-1-15/03-3873-4488

最寄り駅

東京メトロ銀座線/東武鉄道/都営地下鉄浅草線「浅草駅」

東武浅草駅・北口より徒歩13分

東京メトロ浅草駅・7番出口より徒歩14分

都営地下鉄浅草線浅草駅・A5出口より徒歩17分

港区・芝公園  増上寺・木造四天王像

増上寺は浄土宗の七大本山の一つ。

正しくは、三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)といいます。

酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、貝塚(現在の千代田区平河町あたり)の地に、浄土宗の正統根本念仏道場として創建されたといいます。

空海の弟子・宗叡が今の千代田区麹町・紀尾井町あたりに建立した真言宗の光明寺がその前身にあったといわれています。

室町時代の明徳4年(1393)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改められたことから、実質上の開基はこの聖聡とされています。

この酉誉聖聡の弟子と松平とのつながりが深くなり、中世以降、徳川家の菩提寺となってゆくわけで、通説では天正18年(1590)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったと語り伝えられているといいます。

貝塚、日比谷と移り、江戸城の拡張に伴い、慶長3(1598)、芝の地に移され今日に至っているようです。

上野の寛永寺と並ぶ德川家の将軍菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)における「関東十八檀林」の筆頭となっていました。

境内からはどこからも東京タワ-が仰げます!美しくダイナミックそのもの!

「木像広目天・多聞天立像」(東京都指定文化財)

「厳有院殿」(4代将軍・家綱)廟に祀られていたもので、明治維新後に増上寺に移されたもので、四天王像4体のうち2体が今に残されています。

京仏師・康祐によって天和元年1681)に製作されたことが判明しています。

寄木造り、彩色仕上げ、玉眼。像高は広目天71cm、多聞天72cmだそうです。

こちらから☛多聞天像

港区芝公園4-7-35 増上寺/03-3432-1431

最寄駅

都営地下鉄三田線「御成門」駅・下車徒歩約5分

都営地下鉄浅草線「大門」・下車徒歩約5分

江東区三好/龍光院・毘沙門天

浄土宗の宗祖・法然上人四百回忌にあたるる慶長16年(1611)、徳川家康の側室・阿茶局(あちゃのつぼね)の発願により、馬喰町近くに光厳寺(雲光院)として建立されたといいます。龍光院は、雲光院の塔頭でした。

阿茶局(雲光院) 

徳川家康の21人とかいわれる正室・側室のなかで、飛びぬけて才色兼備の女性でした。

女だてらに甲冑で身を包み、徳川家康と共に野戦戦を駆けた女将。

小牧・長久手の戦いに家康とともに参陣し女としての威武をみせています。

大坂冬の陣において豊臣方との交渉にあたったのがこの「阿茶局」でした。交渉力に長けた女人でした。

武田家に仕えた「飯田直政」(いいだなおまさ)の娘として誕生したときから女侍でした。

家康のあと、徳川秀忠にも重用されました。

明暦3年(1657)の大火に焼失し、深川に移転してきたのは天和2年(1682)。

このとき鬼門除けとして境内の東北角に、三尺ほどの石造の毘沙門天が安置されたのだそうです。

いまみる毘沙門天は、昭和49年(1974)に、浄土宗の開宗八百年に当たる造られたもの。楠の木像といいます。

こちらから☛毘沙門天

江東区三好2-7-5/03-3642-3437

地下鉄半蔵門線清澄白河駅B2番出口

大江戸線清澄白河駅A3番出口

港区白金/覚林寺・毘沙門天


日蓮宗・本尊は 釈迦牟尼仏。
寛永8年(1631)、千葉県小湊誕生寺の18世・日延によって開山されました。
加藤清正公の位牌を安置することから「白金の清正公様」といわれてきました。
日延は朝鮮の人で、王族でした。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正によって拉致され、僧侶の修行をしたのち小湊誕生寺の18世となり、晩年隠居し覚林寺を創建したといわれています。
山門の左側に 毘沙門堂。「山手七福神」の毘沙門天が祀られています。

港区白金台1-1-47/03-3441-9379

東京メトロ南北線・都営三田線/白金高輪駅徒歩約5分
墨田区墨田/多聞寺・毘沙門天

山門は区内最古の現存建造物で墨田区の指定文化財

正式名称は「隅田山吉祥院多聞寺」。真言宗智山派寺院。

吉祥天・毘沙門天と夫婦神を名乗るまさに正統派の毘沙門天さまです。

めずらしき限り。茅葺きの山門などいまどきそうそうお目にかかれない!

開基は天徳年間(957~961)。はじめは隅田川べりの隅田川神社の近くにり、本尊を動明王として「大鏡山明王院隅田寺」と名乗っていたといいます。

天正年間(1573~1593)、現在地に移し「隅田山吉祥院多聞寺」に改称、本尊も毘沙門天に変更されたといううことです。

時の住職がある夜、夢に毘沙門天(多聞天)をお告げを感得したのだそうです。

明治維新までは隅田川神社の別当寺でした。

毘沙門天(隅田川七福神から

境内には、悪戯をする狸を葬った「狸塚」があり、別名「たぬき寺」と呼ばれているのどやかなお寺です。

そんなエリアですから、ちょと足をのばして「隅田川七福神」めぐりはいかが。

粋人墨客たちが集まって仕立てた江戸時代からなじみの七福神です。

多聞寺から白鬚神社・百花園・長命寺・弘福寺を経て三囲神社へと下るのがいいでしょう。

巡りたいならご案内☛コチラ

中央区・日本橋/末廣神社・毘沙門天

延宝3年(1675)、社殿を修復していたとき縁起のいい末廣形の扇が見つかったことに因み、末廣神社という社名にし、毘沙門天様をご祭神として祀ったのだといいます。

浅草に移転する前のこと。江戸時代初期に吉原遊廓があった元葭原(吉原)の守り神でした。

明暦3年(1657)の大火で吉原が丸焼けになって浅草田圃に移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四町の氏神さまとして信仰されてきました。

葭原/吉原(よしわら)
この地には遠浅の海岸が広がり、ヨシやアシが生い茂るようなところだったので開拓に際して「葭原」(よしわら)の名がつけられました。

そこに遊廓が開かれ名も「葭原遊廓」となりましたが、この「葭原」では「悪し」に通じて縁起が悪い、いっそ「吉原」の字を充てようということになったともいいます。


毘沙門天像・浮田麻木作

中央区日本橋人形町2-25-20

東京メトロ日比谷線・都営浅草線/人形町駅 A3出口より徒歩3分

※日本橋七福神は恵比寿神と弁才天が重複しており、小網神社は福禄寿と弁才天の2神を祀っていますなお、寺院がなく神社ばかりで編成されているため、寿老人=寿老神、大黒天=大国神と称しています。

 急に思い立ってもできる七福神で、日本一短い時間で参拝できるの七福神として知られています。

通常日なら2~3時間ももあれば参拝できるでしょう。

日本橋七福神のご案内☛こちら

寶田恵比壽神社(たからだえびすじんじゃ) 恵比寿神(商売繁盛・交通安全)

椙森神社(すぎのもりじんじゃ) 恵比寿神

笠間稲荷神社(かさまいなりじんじゃ) 寿老神(長寿延命・導きの神)

末廣神社(すえひろじんじゃ) 毘沙門天(勝運除災・営業繁栄)

島神社(まつしまじんじゃ) 大国神(五穀豊穣・開運招福)

水天宮(すいてんぐう) 弁財天(技芸上達・福徳自在)

茶の木神社(ちゃのきじんじゃ) 布袋尊(未来予知・金運の神)

小網神社(こあみじんじゃ) 弁財天、福禄寿(長寿幸福・包囲守護)

文京区・小石川/源覚寺・毘沙門天

源覚寺は伝通院三世(定誉随浪上人・じょうよずいはしょうにん)が隠居所として寛永元年(1624)に創建したといいます。

上人は、当寺の他に江戸小塚原誓願寺を中興し、駒込に定泉寺・龍閑寺の二寺を開き、増上寺十八世にもなった名僧てした。

毘沙門天像は、小石川七福神の一つとして「こんにゃくえんま」とともに多くの庶民に古くから親しまれていました。

かたや、

本尊・閻魔王坐像は眼病にきくと言われ、江戸時代から16日が縁日で、今日も大変にぎわっていjます。

「こんにゃくえんま」~そのいわれを申しましょう。

宝暦(1751~64)のころといいます。

眼病をわずらった老婆が、この間魔王に21日間祈願しました。
満願の日、老婆の夢枕に閻魔大王が現われ「われの日月に等しい両眼のうち一つをえぐりとって、汝に授くべし」と告げた。翌日老婆の眼は完全に治っていた。しかし、閣魔大王の右眼は黄色く濁っていたという。そこで老婆は感謝の意を、こんにゃくを絶つことであらわした。これが「こんにゃくえんま」と呼ばれる由縁である。

鎌倉期の作で、閻魔像としては文化財的価値が高いそうです。

文京区に住んだ文学者、森田草平の『煤煙』、樋口一葉の『にごりえ』、夏目漱石の『こころ』などにも登場しています。

文京区・本駒込/吉祥寺・寅狛

太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。

徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。

明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。

関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」がおかれ多くの学僧が学んだ。

第二次大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせるのみ。

経蔵の前にいかめしい顔の寅狛がじっとことらを睨んでいます。

どうしてここに狛寅が鎮座しているのか。

経蔵に多聞天でも祀られていたのでしょうか。

ウ~ン、睨んでもいるような、諭してでもいるような、いい眼をしているね。玉眼ですぞ!

文京区本駒込3-19-17

東京メトロ南北線「本駒込」駅より徒歩7分
都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩12分

まとめ

2022年(寅年)の初詣はコロナ禍おさまらぬ時世ですので、「戦いの神」である寅神さまにiコロナ撲滅を願ってみるのもいいですね。

かたややさしい「福徳の神」でもあり、開運・金運上昇・商売繁盛のご神徳を持つ「毘沙門天」さま、その大いなるご利益にもあずからしてもらうことにしましょう!

祈りで、あなたまるごとに、秘めたパワ-をもらいましょう!

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