散歩でもお徒歩(かち)でも歩く中で生まれるものが、だれにもあるハズ!

日光・奥州道中百十四次 完全踏破!! 2005年九月から2008年十月まで全27回 毎日新聞旅行

今日では健康志向から「歩く」ことがひとつの健康アイテムになっています。

町歩きや散歩でもそうですが、

それをただ健康のためにと気遣って黙々と歩いているだけでは「もったいない!」

そんなんな気がします。

ではどうすれば?~それが問題ですよね。

そこで、ちょっとでも興味や好奇心や得意なものがあったら自分なりにあぶり出し、次にそれらを足したり、引いたり、掛けたり、割ったり、つまり加減乗除したりして抽出し、

出てきた形のものをそれぞれのフィ-ルドでの道連れにしてみるのもいいのではないでしょうか。何もない、零ということはないでしょう。

といっても、それをまかなえる精神の余裕みたいなものがあるかないかにもよると思うのですが…。

そんなことを道連れに散歩時間、徒歩時間、旅歩時間がもてるかどうか。

「健康」のためにと、ひたすら、ただ歩くだけ、歩いているだけの人を多くみかけます!

それはそれで価値あるものですが、

健康志向がうすいワタシにはなんとも「もったいない!」ものにみえます。

 

だいぶ以前からあったことなんですが、ここ数年まえぐらいから街道を歩く人が格段とふえてきました。

リタイアした団塊の世代がどっとくりだしてきたせいのようです。

よくある木曽路とかの一部を観光的にちょっと歩くというのではなく、東海道や中山道ならば日本橋の起点から京都三条大橋の終点まで、街道の旧宿場町をくまなく繋いで、連続的に歩くといった街道の歩き方です。

ワタシはもう40数年前からそのような街道歩きをしてきた者のひとりなんですが、そのころは街道を歩くという人はまだきわめて少数派で、どこかかわりものに見られるところがありました。だが、それはごく表面的なもので、かくれたところに濃度のある街道ファンが、それなりにおりました。

いまはそうした面ではとても薄口で、比較的「健康」志向に趣味的なものをかね合わせて歩く人が多いようです。

また、いまでは街道歩きそのものが商品化され、観光会社ツア-のドル箱級なアイテムにまでなる時代になりました。

ワタシも15年ほどそうしたツア-の講師として携わってきたのですが、独り歩きの時代はもちろん、ツア-時代を通じてかえりみると、なんともマニアックなものが大衆化へと近づいたかがわかります。

といったようなことに思いひたっているとき、一冊の著書が届きました。

これはいい。渡りに船でした。

出来ること好きなこと、興味あること得意なこと、こね合わせてのステキ!

高橋さんという女性からでした。かつてワタシの街道(東海道・甲州街道・日光街道・奥州街道)歩き旅に参加されていた生徒のおひとりです。
ひも解いたら懐かしさがどっとこみあげてきました!

高校で英語教師をしていたという彼女。

俳句詠みが好きで、さらにスケッチを得意としており(彼女は趣味の素人芸といってましたが…)、街道を歩きつつこのような形のもの↓をはじめて上梓しました。

日本の伝統である俳句の季題感を墨絵のスケッチで補足し、俳句を英訳つきでまとめているのが彼女ならではの至芸といえるでしょう。
いまのところほかに類書のない一書のようです。
自分の「好き」と「得意」と「趣味」といったのを総合的にオリジナルな形で表現しているところがいいですね。

2冊目が「奥州街道」でした。

3年間のエキスがつまっているわけです。

日光の「金谷ホテル」では外国人に評判の一書になっています。

わかりやすい句だからでしょう。

『日光・奥州道中』の完歩記念Tシャツ

最初の問いに、なんらかのヒントをいただけるんではないでしょうか。少し長くなりますがご披露してみます。

彼女を核にして同世代の俳句詠み仲間が生まれたのも懐かしい追憶のひとコマですね!

ひとつひとつの挿絵に思い出がにじみ出てきます。

みちのくを訪れたのは東日本大震災の前でした。
まぶしいほど豊潤な山河がひろがっていました。そうしたふるさとのいくつかが破壊され失われてしまいました。

そのすばらしい風景を知っているがゆえに傷ましいものがありますね。

普通、「奥州街道」は福島県の白河で終りとするのですが、われわれはさらに足をのばし本州最北の三厩・竜飛岬へ、

それからさらに北海道・松前までゆきました。

みなさんよくギブアップしないで追随してくれました。

こうした試みが功を遂げたのはれわれが最初でした。

で、近日、突然にして届いたのが以下の一冊です。
このように元気であることを伝えてくれた彼女たちの一書にほのぼのとした感動と安堵感をおぼえました。

こんな旅歩きをしていたら、人生が味わい深いものになるでしょうね。
俳句脳も冴えるでしょう

そんな六人の媼の俳句が全編にちりばめられていました。

彼女らには「おもしろがる力」といったようなものがありましたね。

後半にはそれが急成長して、つられて面白がり屋が増殖しました。

 

「面白い」と感じる力は伝染し育っものかもしれません。

俳句眼でみると何気ないものでも面白くみえてくるものなんでしょう。

最後におもうのは、やはり彼女たちの行動力ですね!!

歩くのが好きになる、歩くのをもっと楽しくしたい、そしてもっと歩きたくなる!

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