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今日の散歩は荻窪の界隈(杉並区)・紅葉の大田黒公園、炎舞う!

大田黒公園 紅葉

ライトアップされた大田黒公園の紅葉(2019/11/29撮影)

中央線の沿線に続く中野・杉並・高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪は、どこも若者に人気の街といわれます。
どの街にも他とは一味ちがう街への思いがあるのでしょう、どこも若者たちが住みたい街にあげられています。

暮らしやすということは若い人たちの間で割と以前から流布していた情報でしたが、
いまは住みたい街として絶対人気が定番化しているようです。ワタシモ住んでみたいと思った一時期がありました。

単純におしゃれな街、おもしろい街というのではなく、
もっと何かひきつけるものがあるみたいです。このあたりは住んでみないとわからないものかもしれません。

江戸時代の荻窪は大方が農家で、
江戸市中へ農産物を供給する農村地帯でした。
そんな地域が俄かに脚光を浴び、どっと人が流れ込むようになりました。

大正期から昭和の初期にかけてのことでした。空気が清涼だったとかで、
一帯が別荘地として開発され「西の鎌倉」「東の荻窪」と称されるほどの人気エリになったのです。

富裕層が住み文化人たちがドどっと移り住んできた時代がありました。

とくに評価されたのは荻窪駅の南側一帯だったようです。
意外と知られていない荻窪の隠れた一面ともいえるでしょう。

というわけで、そのあたりの散歩コ-スを写真と拙文でお届けします。

※尚、本文中の紅葉写真は、2020/11/29撮影の紅葉具合です。(今年の紅葉はどうでしよう?)

散歩で巡る「西の鎌倉」、「東の荻窪」といわれた旧荻窪別荘地

ワタシなどは荻窪というと作家の井伏鱒二の『荻窪風土記』とかがすぐに浮かぶのですが、いまどきの若者たちははどんなことを思い浮かぶのでしょう。

JR荻窪駅の南口に出ることにしましょう。

おもてに出ると、目の前に「仲通り商店街」が通じています。

そこを入り、一つ目の路地を左に曲ると荻窪電話局前の十字路に出ます。

その先は道幅が細くなりクネクネくねっています。
昔からの通り道のようです。畑に行くときの農作業道路だったかのかしれません。

しばらく歩いた次の十字路のすぐ先、左手にどっしりした長屋門があります。

散歩通り沿いに古風な建造物がふたつ、閑静な街並みに異色です!


まるで旗本か、大名の屋敷のような構えです。

「明治天皇荻窪御小休所」の立派な石碑が建立されています。

石柱に「明治天皇荻窪御小休所」 「史蹟名勝天然記念物保存法に依り史蹟トシテ昭和九年十一月文部大臣指定」とあります。が、いまは指定が外されているようです

明治16年(1889)4月、明治天皇が立ち寄られ、次いで小金井で催された観桜会の際には英照皇太后、昭憲皇太后ご同伴で立ち寄られたといったような由緒があります。

長屋門   江戸時代に建てられ長屋門で、左右が対称に建てられています。
中央に両開きの扉を備え、左袖にくぐり戸を配しています。あと出格子や武者窓、門衛の休憩場もあります。

この土地の名主・中田秀吉家(村右衛門)の旧宅の遺構です。

さらに150メ-トルほど歩くと右手に一風かわった洋風な建物が目に飛びこんできます。
閑静な住宅街の中で古い佇まいを残しています。

「旅館西郊」です。「西郊」は「セイコウ」と読むようです。いまも現役で使われている建物です。

本館が昭和6年(1931)、新館は昭和13年(1938)の建築だそうです。
いまは本館を旅館「西郊」として、新館のほうは「西郊ロッヂング」として営業しています。

西郊ロッチング   当時は高級下宿と言われた食事つきのアパ-トだったそうです。家賃は高めで、お金持ちの息子や富裕な単身者が入っていたそうです。

いまは旧來の姿に改築しなおし、賃貸マンションとして、名称も旧名を復活し「西郊ロッヂング」に、それに合わせてプレートも張り替え、ネ-ミング文字も右から左へと直したといいます。
内部は拝見したことがないのですが、とてもモダンに設備が行届いているそうです。
で、月のお家賃は?

旅館のほうは一般的に営業されていますからた、こちらは宿泊すれば内部をたっぷりウォッチングできるでしょう。

散歩通りの紅葉、いまが旬です、「読書の森公園」秋色最前線!

さらに先へ進みましょう。右手に原っばのような公園があり、そのさきに「杉並区立中央図書館」が見えます。手前の緑は「読書の森公園」です。
うまい具合に一帯の樹木が紅葉まっ盛りです。

公園の外周の植え込みのなかに、文学碑のモニュメントがあります。
作家・井伏鱒二のものです。

荻窪というとワタシなどの世代にはやはり井伏鱒二の『荻窪風土記』が思い出されますが。
荻窪の風土を知るには格好の一冊でしようね。

その『荻窪風土記』の一節が記されています

川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつも水量が川幅いっぱいで、昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨のような丸葉の水草なども生えていた

井伏鱒二が井荻村(杉並区清水)に引っ越してきた当時の荻窪の様子が描かれています。
住いから善福寺川まで散歩したんですね。

 善福寺川までは結構の道程です。下駄をつっかけての散歩だったでしよう。

読書の森公園  一個人が土地を区に寄贈したもので、区民がみどりに触れながら読書にも親しめる公園として開かれたものだそうです。ということで、図書館の本を持ち出してここで読んでもいいらしいです。

平成18年に開園されたもので、
園内は芝生と緑の広がる、ゆるやかな傾斜をもつた、のどかな小公園になっています。
隣の図書館と一体化していることで、ほかにはない、ちょっとエスプリのきいた公園です。

園内には石井桃子ほか荻窪ゆかりの文学者の碑がいくつかあります。

「アンネのバラ」には驚かされます。
アンネの父親であるオット-・フランクさんより高井戸中学校の生徒たちへ贈られたバラなんだそうです。

生徒の読書感想文の御礼にいただいたものらしです。

広葉樹の木立ち。紅葉もいいけど新緑もいいでしょう。

スロ-プ状に芝生が広がり、木陰があります。

メダカの泳いでいる池や、読書にいいデッキのある東屋があったりします。

無料、6:00~20:00、03-3312-2111(みどり公園課)

 

公園から図書館につながる小路も紅葉に彩られています。
その一角に等身大のガンジ-が立っています。、

ガンジ-像    マハトマ・ガンジ-は、非暴力・不服従運動を通してインドの独立運動を指導した政治家で、独立の父とも言われた人でした。

碑文には、

汗なしに得た財産、 良心を忘れた快楽、 人格が不在の知識、 道徳心を欠いた商売、 人間性を尊ばない科学、 自己犠牲をともなわない信心、 原則なき政治

という言葉が記されています。ビシビシ胸に響いてきますね。

傍らにある説明板の文章は次のよようです。

「東京都杉並区にこのガンジ-翁の銅像を、2008年11月6日にガンジ-・シュラム( 修養所)再建財団創立者・インド国会議員・故ニルマラ・デシュパンデ女史の遺志により、ガンジ-翁の精神に基づいて、世界平和と相互理解が深められることを祈念して、送る。」

図書館の地下には「ガンジー資料展」が常設されています。が、2020年9月5日リニューアルオープンしたそうですから、そのあたりはどうなったでしょう。
谷川俊太郎コ-ナと喫茶室もありましたが、それもどうなったか…。
そのあたりは最新情報で確かめてください。

追記   ということで、気になり2020年10月15日にちょっと訪れました。
全体的にリニューアルで広く見通しの良いフロア-になっていました。
すべての展示は取り払われ、1階のフロア-に移り、ビデオ一本に集約(よくあるケ-ス)されていました。

紙の資料やいろんな写真がたくさんあったのに、いささか拍子抜けでした(旧態のほうがいい)。
谷川コ-ナ-は2階に移されこじんまりとしたものに。喫茶室は地下から1階に移り広く明るいテラス風のものになっていました(感想)

杉並中央図書館   建物は建築家・黒川紀章の設計になるものだそうですが、そのにおいをあまり感じさせないものになっています。

いつだったか、杉並区在住の作家・評論家の川本三郎氏が、何かの本に記していました。
杉並区の図書館は追加貸出の条件が他区の図書館と比べ最悪だと酷評していたけど、
どうなったか、改善されたんでしょうか、どうなんでしょうね。

 

図書館前の道を隔てた向かい側に「荻窪体育館」があります。その前庭の角地に、摩訶不思議な形のオブジェがあります。

オーロラの碑   何をどう表現したものでしょうか、言いようのない造形をしています。説明された資料を読んだのですが、何か意味のものでした。自然現象のオ-ロラであることは確かです。

ここにはかつて「杉並区立公民館」がありました。
昭和28年(1953)ことです。区民の自主活動から起こった運動のひとつに原水爆禁止運動がありました。
その公民館の歴史と、原水爆禁止運動発祥の地としての歴史、この二つを記念・顕彰したもののようです。

記念碑の碑文をみてみましょう。

昭和28年11月に開設した杉並区立公民館においては、区民の教養向上や文化振興を図るため、各種教養講座が開かれ、また、社会教育の拠点として、区民の自主活動が行われてきました。これらの活動のなかでも、特筆されるものは、昭和29年3月のビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区議会において水爆禁止決議が議決されるとともに、同館を拠点として広範な区民の間で始まった原水爆禁止署名運動があり、世界的な原水爆禁止運動の発症の地と言われております」

と、記されています。

ちなみに、「読書の森」「杉並区立中央図書館」あたりはいちばん古く、明治20年(1887)ころに開かれた別荘地だったそうですから、時代が進むにつれ、どんどん奥へ奥へと別荘地開発が進んで行ったことがうかがえます。

このさきの「大田黒公園」一帯が適地と目されていたといいます。

では奥地へ行ってみましよう。

いったん「旅館西郊」のあるところまでもどりましょう。

旅館の角まできたら左に曲がり、まっすぐな道を100メ-トルほど歩くと、右手に、瀟洒な建物があります。

かつら文庫   石井桃子が自宅を解放して開いた子供のための読書室、つまり私設図書館です。
案内板がなければ全く個人のお家です。

※石井桃子  『ノンちゃん雲に乗る』で有名な作家で、『クマのプーさん』など数多くの児童文学の翻訳に貢献しています。「岩波少年文庫」の創刊時の編集者として児童文学を通じて広く活躍しました。

その石井桃子が、地域の子どもたちが自由に本を読める環境を作ろうと願って、昭和33年(1958)に開設したちいさな図書室です。現在は、「東京子ども図書館」が、その恩恵を引き継いでいるといいます。

子ども対象の開庫日 第1~4土曜日  午後2時~午後5時
<事前申込制>おとなへの公開日 原則、火・木曜日  午後1時~午後4時
ほか詳細・問い合わせ・申し込みは公益財団法人東京子ども図書館  03-3565-7711

図書館のすぐさきでT字路にぶつかります、そこを右に、
広い道路に出たら左に曲がり、まっすぐ60メ-トルほど歩いてゆくと、
左手に樹林に囲まれ広大な屋敷がひろがります。

散歩通りの紅葉、ハイライトコ-スは旧荻窪別荘地!

正門を入ると奥へとまっすぐにのび御影石を敷いたる石畳のロングゲ-ト。すばらしいの一言。
長さは70メートルあり、両脇には100年を経た銀杏が27本続いています。

区立大田黒公園   著名な音楽評論家・大田黒元雄氏の自邸があったところです。

没後は氏の遺言により遺族から杉並区へ寄贈されました。邸宅は原形をくずさないように整備され、
昭和56年(1981)10月1日、「杉並区立大田黒公園」として開園しました。

荻窪のゆるく起伏する台地のもつ自然の地形をいかし、池を配した回遊式日本庭園になっています。
なんといっても樹木に囲まれた広大な庭が特徴ですね。

紅葉の大田黒公園(2020/10/15日撮影)。しばらすると紅葉にに入ります!

下の2枚はいま現在の大田黒公園です。

 

大田黒元雄  大正から昭和にかけて活躍した、日本最初のクラシックの音楽評論家といわれています。
西洋の音楽や文化を次々と日本に紹介し、日本における音楽評論の草分け的な存在でした。

「 ドビュッシーを日本で初めて紹介した」人として知られています。

大分昔になりますが、評判をとったNHKラジオ番組『 話の泉』のレギュラ回答者としても人気を博しました。
昭和54年(1979)1月23日、死去、満86歳でした。

以下の大田黒公園の紅葉は2019年11月29日の撮影によるものです

ゆるやかに起伏する自然の地形をいかした、回遊式日本庭園ですが、

散歩途中の紅葉の大田黒公園で真っ赤に頬染まるひととき!

この広さがかつての自邸の30%だといいますから、いかに広大な邸宅であったかがわかりますね。

このあたりから角川邸の一帯が荻窪別荘地の一等地エリアだったとみていいでしよう。

緑の芝生が前方の池までなだらかに傾斜しています。芝生には数本のアカマツが高々とそびえ、根元はササでおおわれています。
池の水面に紅葉が映り込む様子は幻想的で、インスタ映え確実です。

紅葉に竹林の緑が色をそえています。木漏れ日が明暗の模様を描きます。

大田黒記念館   レンガ色の記念館が新緑も紅葉にも映えます。

ここは氏の仕事部屋でした。昭和8年(1933)に建てられたもので、欧米風の建築様式ですかが屋根を日本瓦にするなど、和洋折衷の建物となっています。

室内には愛用のスタインウェイ社製のピアノや蓄音機などが残されています。
平成28年(2016)、記念館とお蔵が国の登録有形文化財となっています。



散歩する夕べの大田黒公園・紅葉ライトアップの幽玄、夢幻!

平成15年(2003)から開始されたライトアップは秋の風物詩となっています。

正門   総檜で屋根は切り妻造りの桟瓦。塀は築地塀となっています。

ライトを浴びて紅蓮に映える大田黒公園の秋色紅葉!

まさに幽玄の世界です。

篝火のようで、まるで炎の競演です。

※本年は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、イベントの中止・変更が発生する場合があります。 詳細は公式サイト等でご確認ください。無料、9:00~17:00(入園は午後16:30まで)、休業日(年末年始・1229日から1月1日)、03-3398-5814(大田黒公園管理事務所)

 

入口にもどり、道を左にとりましょう。

すぐさきの「大田黒公園前」の十字路を左に、公園の塀に沿って道なりにゆきます。
つきあたったところ、およそすばらしい展望が開けていたであろうと思われるところに、マンションが建ち、視界はだいなし。
このあたりは遠くに善福寺川の望める高台で、地形がゆるやかに傾斜しています。

十字路を過ぎたさきの一つ目の路地を下ると、右手に、
数寄屋造りの家屋があります。かつての角川邸です。

名称は長いです
角川庭園・幻戯山房(げんぎさんぼう)~すぎなみ詩歌館

角川書店の創業者で、国文学者・俳人でもあった、故角川源義(げんよし)氏の旧邸宅でした。
角川映画で一世を風靡した風雲児。映画監督、映画プロデュ-サ-、俳人の角川春樹のお父さんです。

入り口からゆるやかに上ってゆきます。
四季折々の木々や草花が楽しめそうな風情のある小路をゆくと、ほどよい広さの庭につながります。

日当たりがよく、何と展望のいいことだつたろうか、と思わせる風景です。
いまは家並み遮られその風景をみることができません。

角川源義氏はここからの展望のよさ気に入ってここを買い求めたのだそうです。台地の先端ですから見晴らしは抜群だったことでしよう
昭和30年(1955)、天沼からここに移り住みました。
そのころの周囲は田圃で善福寺川が帯のように流れ、富士山も望めたといいます。

ちなみに、氏はわが母校(國學院)の先輩、ここに敬意を表します。

平成17年(2005)、屋敷地と邸宅が遺族から区へ寄贈されました。いまは区の施設として、句会などに貸し出しています。(国の登録有形文化財)

庭の水琴窟、その響きに心が癒されます。そしてムニャムニャ祈ります。

部屋の一室が展示室になっています。

 

廊下

天井の高い、特徴ある長い廊下

角川庭園・幻戯山房(げんぎさんぼう)~すぎなみ詩歌館
無料、9:00~17:00、水曜休館、03-6795-6855

さて、ここから、別荘地でのピカ一だったともいえる、近衛文麿邸・荻外荘(てきがいそう)跡へ行ってみることにしましょう。少し離れていますので迷わないように。

まずは角川邸の前の細い道を進み、突き当ったT字路を左に、坂を上りともかくまっすぐ歩いてゆきましょう。
次に二つ目の大きな十字路(ここが肝心)のところで左折します。

通りの右に「荻窪つどい公園」をみて、途中左手に八十二銀行の社員寮などかあります。
ずっとさきでゆるい坂を下ります。
善福寺川に架かる春日橋の手前の大きな十字路を左折し、坂を下ります。
左の塀をぐるっと巻くようにしてゆくと、左手に広い公園が開けます。

高台に緑に囲まれて一棟の建物をうかがうことができます。

荻窪別荘地の筆頭格はここ、近衛文麿邸(萩外荘)でした!

近衛邸・萩外荘(てきがいそう)   家屋とされた建物が一段高いところに残されています。
「荻窪の外」といった意味合いをもつ萩外荘の名付け親は西園寺公望といわれています。
どちらも由緒あるお公家さまですね。

萩外荘

杉並区教育委員会・「萩外荘」より

ここにあった家屋棟のうちの玄関棟・客間棟・応接室などが、昭和35年1960)、豊島区巣鴨にある天理教東京教務支庁が譲り受け、敷地内へ移築され、当時のままの姿で残っているそうです。

それを杉並区が買戻し、ここに移築する計画があるそうです。

ひとまず建物部分を含む敷地全体を杉並区が購入し、公園として整備したものです。

戦前まで一帯は一面の田圃、畑、雑木林に松林、その中を善福寺川が光の帯の如くながれていました。

遥かに雄大な富士山を望むロケ-ションだったといいます。
今の現実からは、まるで夢幻の世界のことのように思われます。

杉並区教育委員会発行・「萩外荘」より

  • 昭和15年(1940)7月19日、東條英機、松岡洋右らが列席した「荻窪会談」の場、
  • 昭和16年(1941)9月末、連合艦隊司令長官・山本五十六との「対米開戦会談」の場、
  • 同16年(1941)10月12日、対米開戦回避のための「荻外荘会談」の場、

等々、政治会談の場、また官邸のような場として機能していました。

近衛文麿

杉並区教育委員会・「萩外荘」より

近衞文麿(このえ・ふみまろ)
大正・昭和期の政治家。近衛家は藤原五摂家の一つで皇室に継ぐ由緒を持つ家柄。
昭和12年(1937)6月、第一次近衞内閣を組閣し、次いで第二次・三次内閣を統率しました。

昭和20年(1945)12月6日、GHQより逮捕命令が発せられ、巣鴨拘置所へ出頭する当日の早朝、荻外荘の自室にて自決しました。享年54歳でした。

広々とした芝生が広がっています。芝生のところはかつて池だったようです。

萩外荘の建物の由来と背景

設計は建築家・伊東忠太によるもので、伊東の家屋建築としては貴重なものだそうです。
大好きな建築家のひとりですが、まだ彼の家屋建築物は目にしたことないから、移築されるのが楽しみです。

間取り図

杉並区教育委員会「萩外荘」より

左下、書斎のところが自決の場所本来は入澤達吉( いりさわ・たつきち)氏の荻窪別邸として昭和2年(1927)に建てられたものだそうです。

東京帝国大学医科大学教授(現 東京大学医学部)や宮内省侍医頭などを歴任し、大正天皇の崩御にも立ち会っているという経歴がみられます。

伊東忠太はこの入澤達吉氏の義弟にあたるんだそうです。こういうつなかり、意外や意外です。

その敷地と建物を、昭和12年(1937)、近衞文麿が譲りうけたという、こういう経緯になります。

伊東忠太   明治から昭和期に活躍した建築家・建築史家。山形県米沢市出身。

法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示した人、また「建築」という言葉をあみだした人として知られています。
多くは公的な建物ですが、建築物に摩訶不思議な動物のオブジェが付属していることも有名です。

身近でよく知られているのは「築地本願寺」「湯島聖堂」「震災記念堂」(東京都慰霊堂本堂)など。
昭和18年(1943)、建築界で初めて文化勲章を受章しています。

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坂道

萩外荘の横の坂道

一帯にはかつての別荘族を髣髴とさせられるような邸宅が建っています。

 

さて、ここから荻窪駅の南口へともどることにしましょう。

まず右回りに公園の横の道をのぼります。広い横通りを右に、そのさきの十字路を今度は左にまがりましょう。

あとは途中で緩やかに曲がりますが、そのまま道なりに歩いてゆくと、広い商店街に出ます。

商店街を左に曲がり一つ目の横丁を右に入ると、南口から続く「南口・仲通り商店街」に出ますから、右にそのまま駅方面に歩くだけです。

荻窪は東京郊外のどこにでもあった農村地帯でした。
それが異色の別荘地として注目されたのは、角川源義氏が惚れたように、景色のすばらしいことが最大の要因だったでしょう。

西に善福寺川をのぞむゆるやかな傾斜地で、その高台の部分に横長く別荘地が開けていたとみられます。
自然がゆたかに開けた遥か彼方にみえかくれする、雄大な富士山を朝に夕に眺めたのでしょ。

そう思いながら歩いてみると、荻窪別荘地の魅力がよくわかる散歩道ではないでしょか。

では、このあたりで、

それで、また。

 

 

 

 

 

 

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