歩けるなら歩く!(意志的に)歩ける範囲で歩く!それを常のモット-に!
多くの人と歩く機会が多いのですが、歩いてる途中、
不意に、「クルマの運転はなさらないのですか?」と、
よく質問されることがあります。
どうしてそんことを…と思うのですが、
そんなときはなんだか仲間外れにあわされたようで、
運転免許証をもたないことにひけ目のようなものを感じさせられてしますます。
クルマに乗らない(運転しない)ワタシです。
たんにそう選択しただけのことなのですが、
ワタシは乗らないことをちょっとした決意をもって選びました。
それはある事からのなりゆきでそうなったのですが、
もしワタシがそのとき偶然にもクルマに乗ることを選んでいたとしたら、
歩くようなことにはならなかったでしょう。
そうはっきり断言できます。
といって、クルマに乗らなかったから歩くことに傾倒したというわけではなくて、
それはまた別の副次的なことの重なりにもよるものですが、
クルマに乗っていたら、その副次的なことにも出会わなかったはずで、
人生のリンクとは不思議なものです。
ともかくクルマに乗らなかったお蔭で、歩くことを日常とするような今日の生活スタイルになりました。
きっかけがそういう次第ですので、
今日よくいわれる、歩くことは「健康」によいから「歩く」といったようなことは、ほとんど念頭にもったことはありません。
そんなことでは頭の中は空っぽかもしれません。
「健康」によいことは分かっていますが、
そのために歩くというのは、どこか窮屈で楽しめない。
心のブレ-キになるのが関の山でしよう。
曾野綾子氏の本ですが、けっして健康になるためのハウツ-本ではありません。歩くことについては、私感とも通ずるところがあり、とても健やかになれる一冊です。
そんなこと考えずに心を解放し、ただ歩くのが「健康」にとってもよいのではないかと思っています。
歩けるなら歩く。(ちょっと意志的に)歩ける範囲で歩く。
そのようなことに終始するだけでいいと思っています。ワタシはそうしています。
それよりもモットもつべきは興味や関心や好奇心、野次馬根性。
そのほうがひょっとして「健康」に大いなる効き目をもたらすものかもしれません。
ワタシはそんなふうにに思っています。
何はともあれ、歩くのは歩けるから歩いているまでのことなんです。
そうして常に歩いているのは、先々で、長距離を歩くときのトレ-ニングのようなものです。
いまは、そうした「目標」が常にありますから、それをともかくの目処にしています。
健脚といわれるワタシとて、日頃何もしないでいて、突然に10キロ、20キロを歩くというのは少々きついことです。
若いときはそのあたり投げやりで、いい加減で始末してよかったのですが、
歳とともにそのあたりを横着したり、その筋をきちんと立てておかないと、
突如ズッコケることにもなりかねないような、そんな不安といったものをおぼえます。
そういうときは「健康」というコトバがちらっと頭をかすめます。